・・・働けば病気が重る事は知れきっていた。それを知りながらU氏は御祈祷を頼みにして、老母と二人の子供との生活を続けるために、勇ましく飽くまで働いた。そして病気が重ってから、なけなしの金を出してして貰った古賀液の注射は、田舎の医師の不注意から静脈を・・・ 有島武郎 「小さき者へ」
・・・ 遠近の樹立も、森も、日盛に煙のごとく、重る屋根に山も低い。町はずれを、蒼空へ突出た、青い薬研の底かと見るのに、きらきらと眩い水銀を湛えたのは湖の尖端である。 あのあたり、あの空…… と思うのに――雲はなくて、蓮田、水田、畠を掛・・・ 泉鏡花 「瓜の涙」
・・・ が重る。――私は夜も寝られないまで、翌日の日を待ちあぐみ、日ごとにその新聞の前に立って読み耽った。が、三日、五日、六日、七日になっても、まだその二人は谷と谷を隔てている。!……も、――も、丶も、邪魔なようで焦ったい。が、しかしその一つ一つ・・・ 泉鏡花 「小春の狐」
・・・ 雪の難――荷担夫、郵便配達の人たち、その昔は数多の旅客も――これからさしかかって越えようとする峠路で、しばしば命を殞したのでありますから、いずれその霊を祭ったのであろう、と大空の雲、重る山、続く巓、聳ゆる峰を見るにつけて、凄じき大濤の・・・ 泉鏡花 「雪霊記事」
・・・波の重るような、幾つも幾つも、颯と吹いて、むらむらと位置を乱して、八方へ高くなります。 私はもう、それまでに、幾度もその渦にくるくると巻かれて、大な水の輪に、孑孑虫が引くりかえるような形で、取っては投げられ、掴んでは倒され、捲き上げては・・・ 泉鏡花 「雪霊続記」
・・・それには一週間ばかり以来、郵便物が通ずると言うのを聞くさえ、雁の初だよりで、古の名将、また英雄が、涙に、誉に、屍を埋め、名を残した、あの、山また山、また山の山路を、重る峠を、一羽でとぶか、と袖をしめ、襟を合わせた。山霊に対して、小さな身体は・・・ 泉鏡花 「栃の実」
・・・車は八重に重る線路の上をガタガタと行悩んで、定めの停留場に着くと、其処に待っている一団の群集。中には大きな荷物を脊負った商人も二、三人交っていた。 例の上り降りの混雑。車掌は声を黄くして、「どうぞ中の方へ願います。あなた、恐入ります・・・ 永井荷風 「深川の唄」
・・・はそういう桟橋に漕いでいるボートをつないで弁当を食べたり腕のつかれを休めたりしたものであるが、或日或屋敷の桟橋へ出て釣をしている学生を見たが、われわれと年頃が同じくらいなので、一度ならず二度ならず、度重るにつれて、別に理由もなく互に声でもか・・・ 永井荷風 「向島」
・・・ 冷え込みだろう、と云って居たのが、三日たっても、四日立っても、よくなく益々重るばっかりなので、近所の医者に来てもらうと、思いがけなく悪い病気で、放って置けば、命にまでさわると云われた。 お医者の云った事は、お君に解らなかったけれ共・・・ 宮本百合子 「栄蔵の死」
この頃、折々ふっと感じて、その感じが重るにつれ次第に一つの疑問のようになって来ていることがある。 それは、この節何となし小説の主人公が年とった人物に選ばれている傾きがあるように思われることについてである。 広津和郎・・・ 宮本百合子 「作品の主人公と心理の翳」
出典:青空文庫