・・・ しかるに重体の死に瀕した一日、橘之助が一輪ざしに菊の花を活けたのを枕頭に引寄せて、かつてやんごとなき某侯爵夫人から領したという、浅緑と名のある名香を、お縫の手で焚いてもらい、天井から釣した氷嚢を取除けて、空気枕に仰向けに寝た、素顔は舞・・・ 泉鏡花 「葛飾砂子」
・・・ ところが、ちょうどそこへ医者が見舞ってきて、お定の脈を見ながら、ご親戚の方が集っておられるようだが、まだまだそんな重態ではござらんと笑ったあと、近ごろ何かおもしろい話はござらぬか。そう言って自分から語りだしたのは、近ごろ京の町に見た人・・・ 織田作之助 「螢」
・・・妹は重態なのだ。しかし、女房が見舞いに行けば、私は子供のお守りをしていなければならぬ。「だから、ひとを雇って、……」 言いかけて、私は、よした。女房の身内のひとの事に少しでも、ふれると、ひどく二人の気持がややこしくなる。 生きる・・・ 太宰治 「桜桃」
・・・そうして、故郷の母が重態だという事を言って聞かせた。五、六年のうちには、このような知らせを必ず耳にするであろうと、内心、予期していた事であったが、こんなに早く来るとは思わなかった。昨年の夏、北さんに連れられてほとんど十年振りに故郷の生家を訪・・・ 太宰治 「故郷」
・・・二月のはじめに御発熱があり、六日の夜から重態にならせられ、十日にはほとんど御危篤と拝せられましたが、その頃が峠で、それからは謂わば薄紙をはがすようにだんだんと御悩も軽くなってまいりました。忘れもしませぬ、二十三日の午剋、尼御台さまは御台所さ・・・ 太宰治 「鉄面皮」
・・・眠られぬままにいろいろな事を考えた中にも、N先生が病気重態という報知を受けて見舞いに行った時の事を思い出した。あの時に江戸川の大曲の花屋へ寄って求めたのがやはりベコニアであった。紙で包んだ花鉢をだいじにぶら下げて車にも乗らず早稲田まで持って・・・ 寺田寅彦 「病室の花」
・・・此時子規は余程の重体で、手紙の文句も頗る悲酸であったから、情誼上何か認めてやりたいとは思ったものの、こちらも遊んで居る身分ではなし、そう面白い種をあさってあるく様な閑日月もなかったから、つい其儘にして居るうちに子規は死んで仕舞った。 筺・・・ 夏目漱石 「『吾輩は猫である』中篇自序」
・・・宮本顕治が一九四〇年に結核のために重態になったが、幸い、回復できた。この年の夏チブスにかかり、再びなおることができた。太平洋戦争第三年目で真珠湾の幻想は現実によってくずされはじめていた。日本の支配権力は戦争反対者に対する弾圧をますま・・・ 宮本百合子 「年譜」
・・・「ご病気はいかにもご重体のようにはお見受け申しまするが、神仏の加護良薬の功験で、一日も早うご全快遊ばすようにと、祈願いたしておりまする。それでも万一と申すことがござりまする。もしものことがござりましたら、どうぞ長十郎奴にお供を仰せつけら・・・ 森鴎外 「阿部一族」
出典:青空文庫