・・・茸狩に綺羅は要らないが、山深く分入るのではない。重箱を持参で茣蓙に毛氈を敷くのだから、いずれも身ぎれいに装った。中に、襟垢のついた見すぼらしい、母のない児の手を、娘さん――そのひとは、厭わしげもなく、親しく曳いて坂を上ったのである。衣の香に・・・ 泉鏡花 「小春の狐」
・・・――日本橋の実家からは毎日のおやつと晩だけの御馳走は、重箱と盤台で、その日その日に、男衆が遠くを自転車で運ぶんです。が、さし身の角が寝たと言っては、料理番をけなしつけ、玉子焼の形が崩れたと言っては、客の食べ余を無礼だと、お姑に、重箱を足蹴に・・・ 泉鏡花 「山吹」
・・・に話がうまいって、どうして話どころでなかった、積っても見ろ、姪子甥子の心意気を汲んでみろ、其餅のまずかろう筈があるめい、山百合は花のある時が一番味がえいのだそうだ、利助は、次手があるからって、百合餅の重箱と鎌とを持っておれを広福寺の裏まで送・・・ 伊藤左千夫 「姪子」
・・・天地は重箱の中を附木で境ッたようになッてたまるものか。兎角コチンコチンコセコセとした奴らは市区改正の話しを聞くと直に日本が四角の国でないから残念だなどと馬鹿馬鹿しい事を考えるのサ。白痴が羊羹を切るように世界の事が料理されてたまるものか。元来・・・ 幸田露伴 「ねじくり博士」
・・・「ええ、きょう配給になったばかりのおミソをお重箱に山もりにして、私も置きどころが悪かったのでしょうけれど、わざわざそれに片足をつっ込まなくてもいいじゃありませんか。しかも、それをぐいと引き抜いて、爪先立ちになってそのまま便所ですからね。・・・ 太宰治 「眉山」
・・・芝生の上はかなりの人出で、毛氈の上に重箱を開いて酒を飲んでいる連中が幾組もあった。大人の遊山の様がいかにも京都らしい印象を彼等に与えた。 円山の方へ向って行く。往来が疎らになった彼方から、女が二人来た。ぼんやり互の顔が見分けられる近さに・・・ 宮本百合子 「高台寺」
・・・ 各学課が重箱式に、機械的に分けられ、つみ重ねられていない。一つの題目は次の一つの題目へとかたく生活的な結びつきでのびて行くから、実際生活にすぐ役立つ勉強法だ。子供の頭は、すぐ手元の日常生活を基礎にそれを解剖し、批判し、新しく、綜合して・・・ 宮本百合子 「五ヵ年計画とソヴェト同盟の文化的飛躍」
・・・ 規則と云う事に或る程度まで縛られなければ人間の充実した生活は送れないとかと云うて居る人は、世の中を重箱にして見る人であろう。 私は、私に必要な規則は只私の作った、私自身への規則であると思って居る。 これから先行くべき学校の選択・・・ 宮本百合子 「曇天」
・・・ 何より彼より、一番大まかで、寛容でなければならない筈の主人が、重箱の隅ほじりなので、事実以上に種々思って居た事が無いでもあるまいと正直なところ思う。 それでも奥さんがピリッとした人なら、するだけの事はうまく感じよくやってのけたかも・・・ 宮本百合子 「二十三番地」
・・・ 近所に出磬山という妙な重箱よみの名をもった山があってその麓一帯何万坪かの田畑が今度買いあげられ、そこに兵営が出来ることになった。 秋のとりいれを待ちかねて、田畑はほりかえされ工事に着手されはじめた。一ヵ村が生計の道を新しく見出さな・・・ 宮本百合子 「村の三代」
出典:青空文庫