・・・…… 遠山の桜に髣髴たる色であるから、花の盛には相違ないが、野山にも、公園にも、数の植わった邸町にも、土地一統が、桜の名所として知った場所に、その方角に当っては、一所として空に映るまで花の多い処はない。……霞の滝、かくれ沼、浮城、もの語・・・ 泉鏡花 「瓜の涙」
・・・「何しろ、水ものには違えねえだ。野山の狐鼬なら、面が白いか、黄色ずら。青蛙のような色で、疣々が立って、はあ、嘴が尖って、もずくのように毛が下った。」「そうだ、そうだ。それでやっと思いつけた。絵に描いた河童そっくりだ。」 と、なぜ・・・ 泉鏡花 「貝の穴に河童の居る事」
・・・また汗の目に、野山の赤いまで暑かった。洪水には荒れても、稲葉の色、青菜の影ばかりはあろうと思うのに、あの勝山とは、まるで方角が違うものを、右も左も、泥の乾いた煙草畑で、喘ぐ息さえ舌に辛い。 祖母が縫ってくれた鞄代用の更紗の袋を、斜っかい・・・ 泉鏡花 「栃の実」
・・・見霽の野山の中に一つある。一方が広々とした刈田との境に、垣根もあったらしいが、竹も塀もこわれごわれで、朽ちた杭ばかり一本、せめて案山子にでも化けたそうに灰色に残って、尾花が、ぼうと消えそうに、しかし陽を満々と吸って、あ、あ、長閑な欠伸でも出・・・ 泉鏡花 「みさごの鮨」
・・・つれの家内が持って遣ろうというのだけれど、二十か、三十そこそこで双方容子が好いのだと野山の景色にもなろうもの……紫末濃でも小桜縅でも何でもない。茶縞の布子と来て、菫、げんげにも恥かしい。……第一そこらにひらひらしている蝶々の袖に対しても、果・・・ 泉鏡花 「若菜のうち」
・・・ 亡霊の妄想を続ける根気も尽き、野山への散歩も廃めて、彼は喘ぐような一日一日を送って行った。ともすると自然の懐ろは偉大だとか、自然が美しいとかいって、それが自分とどうしたとかいうでもない、埒もない感想に耽りたがる自分の性癖が、今さらに厭・・・ 葛西善蔵 「贋物」
・・・その麓に水車が光っているばかりで、眼に見えて動くものはなく、うらうらと晩春の日が照り渡っている野山には静かな懶さばかりが感じられた。そして雲はなにかそうした安逸の非運を悲しんでいるかのように思われるのだった。 私は眼を溪の方の眺めへ移し・・・ 梶井基次郎 「蒼穹」
・・・二人で画板を携え野山を写生して歩いたことも幾度か知れない。 間もなく自分も志村も中学校に入ることとなり、故郷の村落を離れて、県の中央なる某町に寄留することとなった。中学に入っても二人は画を書くことを何よりの楽にして、以前と同じく相伴うて・・・ 国木田独歩 「画の悲み」
・・・ 僕は野山を駆け暮らして、わが幸福なる七年を送った。叔父の家は丘のふもとにあり、近郊には樹林多く、川あり泉あり池あり、そしてほど遠からぬ所に瀬戸内内海の入江がある。山にも野にも林にも谷にも海にも川にも、僕は不自由をしなかったのである。・・・ 国木田独歩 「少年の悲哀」
・・・ 十五、六人の人数と十頭の犬で広い野山谷々を駆けまわる鹿を打つとはすこぶるむずかしい事のようであるが、元が崎であるから山も谷も海にかぎられていて鹿とてもさまで自由自在に逃げまわることはできない、また人里の方へは、すっかり、高い壁が石で築・・・ 国木田独歩 「鹿狩り」
出典:青空文庫