・・・――いささか気障ですが、うれしい悲しいを通り越した、辛い涙、渋い涙、鉛の涙、男女の思迫った、そんな味は覚えがない、ひもじい時の、芋の涙、豆の涙、餡ぱんの涙、金鍔の涙。ここで甘い涙と申しますのは。――結膜炎だか、のぼせ目だか、何しろ弱り目に祟・・・ 泉鏡花 「木の子説法」
もう何年前になるか思い出せぬが日は覚えている。暮れもおし詰まった二十六日の晩、妻は下女を連れて下谷摩利支天の縁日へ出かけた。十時過ぎに帰って来て、袂からおみやげの金鍔と焼き栗を出して余のノートを読んでいる机のすみへそっとの・・・ 寺田寅彦 「どんぐり」
・・・や「金鍔」や「加茂の社」のごときはなかなか容易に発見されるような歯車の連鎖を前々句に対して示さない。また『鳶の羽』の巻でも芭蕉の「まいら戸」の句「午の貝」の句のごとき、なんでもないような句であるが完全にこのアタヴィズムの痕跡を示さない。これ・・・ 寺田寅彦 「連句雑俎」
出典:青空文庫