・・・と写し、鉄橋を渡る汽車の音を「Trararach trararach」と写したのがある。なるほどぼんやり耳を貸していると、ああ云う風にも聞えないことはない。――そんなことを考えたのも覚えている。 保吉は物憂い三十分の後、やっとあの避暑地・・・ 芥川竜之介 「お時儀」
・・・なぜといえば、その都市の人々は必ずその川の流れに第三流の櫛形鉄橋を架けてしかもその醜い鉄橋を彼らの得意なものの一つに数えていたからである。自分はこの間にあって愛すべき木造の橋梁を松江のあらゆる川の上に見いだしえたことをうれしく思う。ことにそ・・・ 芥川竜之介 「松江印象記」
・・・自分は四方を眺めながら、何とはなしに天神川の鉄橋を渡ったのである。 うず高に水を盛り上げてる天神川は、盛んに濁水を両岸に奔溢さしている。薄暗く曇った夕暮の底に、濁水の溢れ落つる白泡が、夢かのようにぼんやり見渡される。恐ろしいような、面白・・・ 伊藤左千夫 「水害雑録」
・・・ そのとき、汽車は、野原や、また丘の下や、村はずれや、そして、大きな河にかかっている鉄橋の上などを渡って、ずんずんと東北の方に向かって走っていたのでした。 その日の晩方、あるさびしい、小さな駅に汽車が着くと、飴チョコは、そこで降ろさ・・・ 小川未明 「飴チョコの天使」
・・・「途中大和川の鉄橋があっただろう」「おました。しかし、踏み外して落ちたら落ちた時のこっちゃ。いっそのことその方が楽や、一思いに死ねたら極楽や思いましてん」 そんな風に心細いことを言っていたが、翌朝冬の物に添えて二百円やると、・・・ 織田作之助 「世相」
・・・兵卒達は、パルチザンの出没や、鉄橋の破壊や、駐屯部隊の移動など、次から次へその注意を奪われて、老人のことは、間もなく忘れてしまった。 丘の病院からは、谷間の白樺と、小山になった穴のあとが眺められた。小川が静かに流れていた。栗島は、時々、・・・ 黒島伝治 「穴」
・・・ だが、そこの鉄橋は始終破壊された。枕木はいつの間にか引きぬかれていた。不意に軍用列車が襲撃された。 電線は切断されづめだった。 HとSとの連絡は始終断たれていた。 そこにパルチザンの巣窟があることは、それで、ほぼ想像がつい・・・ 黒島伝治 「渦巻ける烏の群」
・・・と、雪をかむった鉄橋が目前に現れてきた。「異状無ァし!」 鉄橋の警戒隊は列車の窓を見上げて叫んだ。「よろしい! 前進。」 そして、列車は轟然たる車輪の響きを高めつゝ橋にさしかゝった。速力は加わったようだった。線路はどこまでも・・・ 黒島伝治 「氷河」
・・・赤平川の鉄橋をわたる頃は、雷さえ加わりたればすさまじさいうばかりなく、おそるおそる行くての方を見るに、空は墨より黒くしていずくに山ありとも日ありとも見えわかず、天地一つに昏くなりて、ただ狂わしき雷、荒ぶる雨、怒れる風の声々の乱れては合い、合・・・ 幸田露伴 「知々夫紀行」
・・・イマハ山中、イマハ浜、イマハ鉄橋、ワタルゾト思ウ間モナクトンネルノ、闇ヲトオッテ広野ハラ、どんどん過ぎて、ああ、過ぎて行く。私は呆然と窓外の飛んで飛び去る風景を迎送している。指で窓ガラスに、人の横顔を落書して、やがて拭き消す。日が暮れて、車・・・ 太宰治 「鴎」
出典:青空文庫