・・・ ゆうべ、八時というのは、長野の町へ出てのかえりであった。 善光寺を建てた坊さんは、長野の市街が天然にもっている土地の勾配というものを実にうまくとらえ、造形化したものだと思う。見通しの美的効果というものを、敏感に利用している。そ・・・ 宮本百合子 「上林からの手紙」
・・・然し、大阪、高知、長野等拡大中央委員会にわざわざ代表が出席した程比較的強力な支部からの報告でさえ、その中には一言も、支部に於ける婦人委員会の問題、婦人大衆に対する文学的働きかけについての対策というものは言及されていなかった。 これは作家・・・ 宮本百合子 「国際無産婦人デーに際して」
・・・ 十月三日 〔市ヶ谷刑務所の顕治宛 長野県下高井郡上林温泉せきや方より〕 十月三日。一日に仕事が終らず、二日に出発。上野から長野まで汽車。長野から湯田中まで電鉄。その後自動車でのぼり二十分ばかり来ると、桜並木のところに、店頭・・・ 宮本百合子 「獄中への手紙」
・・・弁護士界の長老である正木、長野、和光、吉田などをこめる十一名の弁護士がこの公判に参加している。これらの弁護士団は、「本件の如き憲法や新刑訴の趣旨を蹂りんしているのではないかと被告がすでに思っているような事件においては」「法令が適正に運用され・・・ 宮本百合子 「それに偽りがないならば」
現代の日本の作家の中で、その作品に最も多く自然をうけ入れ、示しているのは誰であろう。島崎藤村をその一人としてあげ得ると思う。 藤村は、明治五年、長野県の馬籠で生れた。家は馬籠の旧本陣で、そこの大規模な家の構え、召使いな・・・ 宮本百合子 「藤村の文学にうつる自然」
・・・青森市では、記載もれの市民大会が開かれ、市長以下責任者が退陣しなければならなくなった。長野の或るところでは、役場の責任者が、責任感から行方不明となり、自殺したかもしれないと云われている。 このような大量な記載もれの生じた原因は、何だった・・・ 宮本百合子 「春遠し」
・・・実に英吉利人はいずくに来ても英吉利人なりと打笑いぬ。長野にて車を下り、人力車雇いて須坂に来ぬ。この間に信濃川にかけたる舟橋あり。水清く底見えたり。浅瀬の波舳に触れて底なる石の相磨して声するようなり。道の傍には細流ありて、岸辺の蘆には皷子花か・・・ 森鴎外 「みちの記」
出典:青空文庫