・・・ すっかり暗くなったところで弟は行李を担いで、Fとの二人が茶店の娘に送られて出て行ったが、高い石段を下り建長寺の境内を通ってちょうど門前の往来へ出たかと思われた時分、私はガランとした室に一人残って悲みと寂しさに胸を噛まれる気持で冷めたく・・・ 葛西善蔵 「父の出郷」
・・・ 長頭丸が時教を請うた頃は、公は京の東福寺の門前の乾亭院という藪の中の朽ちかけた坊に物寂びた朝夕を送っていて、毎朝輪袈裟を掛け、印を結び、行法怠らず、朝廷長久、天下太平、家門隆昌を祈って、それから食事の後には、ただもう机によって源氏を読・・・ 幸田露伴 「魔法修行者」
・・・ 城門前の石碑のあるあたりから、鉄道の線路を越え、二人は砂まじりの窪い道を歩いて行った。並んだ石垣と桑畠との見える小高い耕地の上の方には大手門の残ったのが裏側から望まれた。先生はその高い瓦屋根を高瀬に指して見せた。初めて先生が小諸へ移っ・・・ 島崎藤村 「岩石の間」
・・・そうして、その門前に於いて、彼の肉親の弟だという私の名前をも口走り、私が彼の一味のように誤解せられる事などあっては、たまらぬ。彼をこのまま、ひとりで外へ出すのは危険である。「だいたいわかりましたけれども、私は、その一ばん上の兄さんに逢う・・・ 太宰治 「女神」
・・・昭和通りに二つ並んで建ちかかっている大ビルディングの鉄骨構造をねらったピントの中へ板橋あたりから来たかと思う駄馬が顔を出したり、小さな教会堂の門前へ隣のカフェの開業祝いの花輪飾りが押し立ててあったり、また日本一モダーンなショーウィンドウの前・・・ 寺田寅彦 「カメラをさげて」
・・・楼上と門前とに女が立ってうなずいている。犬引も通る。これらが煩悩の犬だろう。松が端から車を雇う。下町は昨日の祭礼の名残で賑やかな追手筋を小さい花台をかいた子供連がねって行く。西洋の婦人が向うから来てこれとすれちがった。牧牛会社の前までくると・・・ 寺田寅彦 「高知がえり」
・・・「お絹ばあちゃがお弟子にお稽古をつけているのを、このちびさんが門前の小僧で覚えてしまうて……」祖母は気だるそうに笑っていた。 それがすむと、また二つばかり踊ってみせた。御褒美にバナナを貰って、いつか下へおりていった。「ここでも書・・・ 徳田秋声 「挿話」
・・・二つは門前の道路を左右へ、いま一つは橋をわたって、まっすぐにこっちへ流れてくる。娘、婆さん、煙草色の作業服のままの猫背のおやじ。あっぱっぱのはだけた胸に弁当箱をおしつけて肩をゆすりながらくる内儀さん。つれにおくれまいとして背なかにむすんだ兵・・・ 徳永直 「白い道」
・・・是日また大行寺の門前を通り過ぎて、わたくしは偶然東都歳事記に記載せられた垂糸桜の今猶すこやかである事をも知ったのである。わたくしは桜花の種類の多きが中に就いて其の樹姿の人工的に美麗なるを以て、垂糸桜を推して第一とする。 谷中天王寺は明治・・・ 永井荷風 「上野」
・・・ 小石川区内では○植物園門前の小石川○柳町指ヶ谷町辺の溝○竹島町の人参川○音羽久世山崖下の細流○音羽町西側雑司ヶ谷より関口台町下を流れし弦巻川。 芝区内では○愛宕下の桜川また宇田川○芝橋かかりし入堀 赤坂区内では○溜池桐畠の溝渠・・・ 永井荷風 「葛飾土産」
出典:青空文庫