・・・と呼ばれる昔の離宮のある公園町の下宿に暮していて、その報知の電報をうけとった。 あとからその前後の模様を書いた手紙が来たが、それは父が書いた手紙であった。丁度そのころの日本の若い精神がその青春の嵐とともに直面していた歴史的な波瀾だの、そ・・・ 宮本百合子 「父の手紙」
・・・ 一年に一ヵ月の有給休暇があって、その時は絵でばかり見ていたようなクリミヤの離宮や大金持の別荘がプロレタリア、農民のための「休みの家」となっている。そこへ行って、台所の心配もぬきにして楽しく休める。工場では十三時間も働らかされ、搾られ、・・・ 宮本百合子 「プロレタリア婦人作家と文化活動の問題」
・・・しからばあとに残されたのは、皇居離宮などのまわりをうろつくか、または行幸啓のときに路傍に立つことのみである。それは平時二重橋前に集まり、また行幸啓のとき路傍に立っている人々の行為と、なんら異なったものでない。それは我々の経験によれば、警衛で・・・ 和辻哲郎 「蝸牛の角」
・・・桂離宮の玄関前とか、大徳寺真珠庵の方丈の庭とかは、その代表的なものと言ってよい。嵯峨の臨川寺の本堂前も、二十七、八年前からそういう苔庭になっている。こういう杉苔は、四季を通じて鮮やかな緑の色調を持ち続け、いつも柔らかそうにふくふくとしている・・・ 和辻哲郎 「京の四季」
出典:青空文庫