・・・と「風知草」とは、作者が戦争によって強いられていた五年間の沈黙ののちにかかれ、発表された。主題とすれば、一九三二年以来、作者にとってもっとも書きたくて、書くことの出来ずにいた主題であった。この二つの作品は、日本のすべての人々にとって忘却する・・・ 宮本百合子 「あとがき(『宮本百合子選集』第七巻)」
・・・ 風知草は、絵画で云えば、一篇のクロッキーであると云ってさしつかえない。クロッキーはデッサンではない。クロッキーにおいて細部は追究されず、しかし流動する物体のエネルギーそのものの把握が試みられる。次の瞬間もうそこにはないその瞬間の腕の曲・・・ 宮本百合子 「解説(『風知草』)」
・・・「妻よねむれ」にしろ「私の東京地図」にしろ、「播州平野」「風知草」ことごとく、その種のモティーヴに立ち、作品の本質も戦争による人民生活の破壊、治安維持法が行って来た非人間的な抑圧への抗議であった。それぞれの角度から日本の民主革命に結びついた・・・ 宮本百合子 「五〇年代の文学とそこにある問題」
・・・この一月に自分の手から一票一票と三百万の票を党におくった人々の心に「風知草」が描いた代々木本部創立当時のおもかげは、何のよびかけももたないだろうか。「二つの庭」がよまれたのは、まだ日本の社会、とくに婦人の生活から封建性がとりのぞかれていない・・・ 宮本百合子 「事実にたって」
・・・私ひとりの身の上にも様々のことがあって、二十年ぶりで林町の家へ引越して来たり、その夏の苦しい気持は、もう引越すばかりになっている家の物干にせめては風知草の鉢でもと、買って来て夜風に眺めるほどであった。 秋になって落ついたらばと思っている・・・ 宮本百合子 「白藤」
・・・と「風知草」とが当選したことは、その作家一人の問題ではなくて、民論が一方で坂口安吾氏の文学を繁昌させながらも他の一方ではやはり真面目に今日の社会の矛盾について考えており、その解決をもとめており、人民を幸福にする可能をもつ民主主義を欲している・・・ 宮本百合子 「一九四七・八年の文壇」
・・・九月。風知草。十月。琴平。現代の主題。風知草。十一月。郵便切手。図書館。風知草。単行本。『伸子』〔第一部〕。私たちの建設。一九四七年一月から〔八〕月まで中央公論につづけて「二つの庭」を書いた。これは二十数・・・ 宮本百合子 「年譜」
・・・物干に、かなり大きい風知草の鉢が置かれてある。それは一九四一年の真夏のことであった。その年の一月から、ひろ子の文筆上の仕事は封鎖されて、生活は苦しかった。巣鴨にいた重吉は、ひろ子が一人で無理な生活の形を保とうと焦慮していることに賛成していな・・・ 宮本百合子 「風知草」
・・・「歌声よ、おこれ」などの民主主義文学についての文学評論のほか、「播州平野」「風知草」などにこの作家にとって独特であった解放のよろこびと戦争への抗議を描き出した。「伸子」の続篇として、一九二七年以後の二十年間の社会思想史の素描ともなる「二つの・・・ 宮本百合子 「婦人作家」
・・・「播州平野」は、ソヴェトの文学新聞に、日本で広汎に支持されている階級的作品として紹介され、中国語にもほんやくされています。この事実は何を語るでしょうか。「播州平野」「風知草」の基調にあるものが前衛党とその活動家の新しい情勢のもとにおける一つ・・・ 宮本百合子 「文学について」
出典:青空文庫