・・・と同時に驚くまいことか! 俺も古本屋を前に見たまま、一足ずつ後へ下り出した。この時の俺の心もちは恐怖と言うか、驚愕と言うか、とうてい筆舌に尽すことは出来ない。俺は徒らに一足でも前へ出ようと努力しながら、しかも恐しい不可抗力のもとにやはり後へ・・・ 芥川竜之介 「馬の脚」
・・・不恰好な二階建ての板家に過ぎないのだけれども、その一本の柱にも彼れは驚くべき費用を想像した。彼れはまた雪のかきのけてある広い往来を見て驚いた。しかし彼れの誇りはそんな事に敗けてはいまいとした。動ともするとおびえて胸の中ですくみそうになる心を・・・ 有島武郎 「カインの末裔」
・・・だから君、火星のアアビングや団十郎は、ニコライの会堂の円天蓋よりも大きい位な烏帽子を冠ってるよ』『驚いた』『驚くだろう?』『君の法螺にさ』『法螺じゃない、真実の事だ。少くとも夢の中の事実だ。それで君、ニコライの会堂の屋根を冠・・・ 石川啄木 「火星の芝居」
・・・ と炎天に夢を見る様に、恍惚と松の梢に藤の紫を思ったのが、にわかに驚く! その次なる烏賊の芸当。 鳶職というのを思うにつけ、学生のその迫った眉はたちまち暗かった。 松野謹三、渠は去年の秋、故郷の家が焼けたにより、東京の学校を中途・・・ 泉鏡花 「瓜の涙」
・・・人の生涯も或階段へ踏みかけると、躊躇なく進行するから驚くよ。しかし其時々の現状を楽しんで進んで行くんだな。順当な進行を遂げる人は幸福だ」「進行を遂げるならよいけれど、児が殖えたばかりでは進行とも云えんからつまらんさ。しかし子供は慥に可愛・・・ 伊藤左千夫 「浜菊」
・・・「あいにく銅貨が二、三銭と来たら、いかに吉弥さんでも驚くだろう」「この子はなかなか欲張りですよ」「あら、叔母さん、そんなことはないわ」「まア、一つさしましょう」と、僕は吉弥に猪口を渡して、「今お座敷は明いているだろうか?」・・・ 岩野泡鳴 「耽溺」
・・・であって、驚くべき奇才であるとは認めていたが、正直正太夫という名からして寄席芸人じみていて何という理由もなしに当時売出しの落語家の今輔と花山文を一緒にしたような男だろうと想像していた。尤もこういう風采の男だとは多少噂を聞いていたが、会わない・・・ 内田魯庵 「斎藤緑雨」
・・・実に驚くべきことではありませんか。 しからばデンマーク人はどうしてこの富を得たかと問いまするに、それは彼らが国外に多くの領地をもっているからではありません、彼らはもちろん広きグリーンランドをもちます。しかし北氷洋の氷のなかにあるこの領土・・・ 内村鑑三 「デンマルク国の話」
・・・「もう驚くことはない。おまえを苦しめた風は遠くへ去ってしまった。これから後は、私がおまえを見守ってやろう。」と、太陽はいいました。 木の芽は、生まれて出た世の中が予想をしなかったほど、複雑なのに頭を悩ましました。そして、空恐ろしさに・・・ 小川未明 「明るき世界へ」
・・・「どうもこう詰開きにされちゃ驚くね。そりゃ縹致はこれなら申し分はねえが……」「縹致は申し分ないが、ほかに何か申し分が……」「まあま、お光さん、とにかく一つ考えさせてもらわなけりゃ……何しろまだ家もねえような始末だから、女房を貰う・・・ 小栗風葉 「深川女房」
出典:青空文庫