・・・極簡単なもので、ただ、藤井勝美と云う御用商人の娘と縁談が整ったと云うだけでしたが、その後引続いて受取った手紙によると、彼はある日散歩のついでにふと柳島の萩寺へ寄った所が、そこへ丁度彼の屋敷へ出入りする骨董屋が藤井の父子と一しょに詣り合せたの・・・ 芥川竜之介 「開化の良人」
・・・勿論骨董としてあったのではなく、一家の繁栄を祈るべき宗門神としてあったのですが。 その稲見の当主と云うのは、ちょうど私と同期の法学士で、これが会社にも関係すれば、銀行にも手を出していると云う、まあ仲々の事業家なのです。そんな関係上、私も・・・ 芥川竜之介 「黒衣聖母」
・・・ 滝田君は本職の文芸の外にも書画や骨董を愛していた。僕は今人の作品の外にも、椿岳や雲坪の出来の善いものを幾つか滝田君に見せて貰った。勿論僕の見なかったものにもまだ逸品は多いであろう。が、僕の見た限りでは滝田コレクションは何と言っても今人・・・ 芥川竜之介 「滝田哲太郎氏」
・・・書画骨董を買うことが熱心で、滝田さん自身話されたことですが、何も買う気がなくて日本橋の中通りをぶらついていた時、埴輪などを見附けて一時間とたたない中に千円か千五百円分を買ったことがあるそうです。まあすべてがその調子でした。震災以来は身体の弱・・・ 芥川竜之介 「夏目先生と滝田さん」
・・・ 祖母は、その日もおなじほどの炎天を、草鞋穿で、松任という、三里隔った町まで、父が存生の時に工賃の貸がある骨董屋へ、勘定を取りに行ったのであった。 七十の老が、往復六里。……骨董屋は疾に夜遁げをしたとやらで、何の効もなく、日暮方に帰・・・ 泉鏡花 「瓜の涙」
・・・書画をたしなみ骨董を捻り、俳諧を友として、内の控えの、千束の寮にかくれ住んだ。……小遣万端いずれも本家持の処、小判小粒で仕送るほどの身上でない。……両親がまだ達者で、爺さん、媼さんがあった、その媼さんが、刎橋を渡り、露地を抜けて、食べものを・・・ 泉鏡花 「開扉一妖帖」
・・・出品されて居る、其外内地で何か美術に関する展覧会などがあれば、某公某伯の蔵品必ず茶器が其一部を占めている位で、東洋の美術国という日本の古美術品も其実三分の一は茶器である、然るにも係らず、徒に茶器を骨董的に弄ぶものはあっても、真に茶を楽む・・・ 伊藤左千夫 「茶の湯の手帳」
・・・当時朝から晩まで代る代るに訪ずれるのは類は友の変物奇物ばかりで、共に画を描き骨董を品して遊んでばかりいた。大河内子爵の先代や下岡蓮杖や仮名垣魯文はその頃の重なる常連であった。参詣人が来ると殊勝な顔をしてムニャムニャムニャと出放題なお経を誦し・・・ 内田魯庵 「淡島椿岳」
・・・この場合、他の骨董品と同じく、数が少なければ、それだけ珍重されたのも、和本そのものが、すでに芸術的に出来ているがためです。 たとえ、今日洋装の書物が、耐久性からいっても、趣味の上からしても殆んど永久の蔵書に値しないかもしれぬが、なほ・・・ 小川未明 「書を愛して書を持たず」
・・・これが道具屋や表具屋や骨董屋の多い八幡筋。ここでちょっと通りと筋のことを言いますと、船場では南北の線よりも東西の線の方が町並みが発達しているので、東西の線を通りと呼び、南北の線を筋と呼んでいるが、これが島ノ内に来ると、反対に南北の方がひらけ・・・ 織田作之助 「アド・バルーン」
出典:青空文庫