・・・かく説明する僧侶の音声は如何によく過去の時代の壮麗なる式場の光景を眼前に髣髴たらしめるであろうか。 自分は厳かなる唐獅子の壁画に添うて、幾個となく並べられた古い経机を見ると共に、金襴の袈裟をかがやかす僧侶の列をありありと目に浮べる。拝殿・・・ 永井荷風 「霊廟」
・・・汁粉であるか煮小豆であるか眼前に髣髴する材料もないのに、あの赤い下品な肉太な字を見ると、京都を稲妻の迅かなる閃きのうちに思い出す。同時に――ああ子規は死んでしまった。糸瓜のごとく干枯びて死んでしまった。――提灯はいまだに暗い軒下にぶらぶらし・・・ 夏目漱石 「京に着ける夕」
・・・どうかしてこの込み入った画の配合や人間の立ち廻りを鷲抓みに引っくるめてその特色を最も簡明な形式で頭へ入れたいについてはすでに幼稚な頭の中に幾分でも髣髴できる倫理上の二大性質――善か悪かを取りきめてこの錯雑した光景を締め括りたい希望からこうい・・・ 夏目漱石 「中味と形式」
・・・よし自分の頭には解っていても、それを口にし文にする時にはどうしても間違って来る、真実の事はなかなか出ない、髣髴として解るのは、各自の一生涯を見たらばその上に幾らか現われて来るので、小説の上じゃ到底偽ッぱちより外書けん、と斯う頭から極めて掛っ・・・ 二葉亭四迷 「私は懐疑派だ」
・・・の一語、美人髣髴として前にあり。 蒲団引きおうて夜伽の寒さを凌ぎたる句などこそ古人も言えれ、蒲団その物を一句に形容したる、蕪村より始まる。「頭巾眉深き」ただ七字、あやせば笑う声聞ゆ。 足袋の真結び、これをも俳句の材料にせんとは誰・・・ 正岡子規 「俳人蕪村」
・・・内山氏の紹介は、「まったく敗戦後のドイツの姿は、今日の日本を彷彿させるものがある」と当時の事情にふれている。大戦後の混乱は有名なマークの暴落をひきおこし、一方にすさまじい成りあがりを生み出しながら、中産階級は没落して、エリカ・マンさえ靴のな・・・ 宮本百合子 「明日の知性」
・・・バルザックの小説の場面が髣髴される。仮に、首相が楢橋氏の進言に従って三菱の婿としての立場を考え直す、ということで、国を憂える真意を裏づけようとでもしたら、政府は、目下試みているような憲法草案を仮名まじり文にしただけの押しつけや、労働法の骨抜・・・ 宮本百合子 「一票の教訓」
・・・一本の立木さえ生きのこっていることが出来なかった当時の有様を髣髴として、砲弾穴だけのところに薄に似た草がたけ高く生えている。 目の及ぶかぎりに沈黙が領している。少し出て来た風にその薄のような草のすきとおった白い穂がざわめく間を、エンジン・・・ 宮本百合子 「女靴の跡」
・・・ 私のころころした恰好が髣髴いたしますか。その他さまざまの時に見える私が見えますか? 三日に余り久しぶりであなたの声を聞いて、私は今だに耳に感じがついて居ます。ここでさえペンをもっていると手がつめたい。 [自注1]――この第一信・・・ 宮本百合子 「獄中への手紙」
・・・冷たい温泉を描きながら、しかも浴室の気分を彷彿せしむるなどは、その証拠である。 これらの非難は『いでゆ』の画家にとっては迷惑なことに相違ない。なぜなら、画家があえて描くことを欲しなかったところを、その「欲しなかった」のゆえに非難せられる・・・ 和辻哲郎 「院展遠望」
出典:青空文庫