・・・Our birth is but asleep and forgetting. この句の通りです。僕等は生れてこの天地の間に来る、無我無心の小児の時から種々な事に出遇う、毎日太陽を見る、毎夜星を仰ぐ、ここに於てかこの不可思議・・・ 国木田独歩 「牛肉と馬鈴薯」
・・・それゆえ、さあ、とか、あるいは、とか、頗るいい加減な返答をして堪えていたがおしまいには、それもめんどうくさく、めちゃめちゃになって As you see など、英語が飛び出したりして、もう一刻も早く、おわかれしたくなって来た。そのうちに、と・・・ 太宰治 「花燭」
・・・ソ・アサマ型AsoUsuUnsen, UnzenEsanUnsyzyOsoreRausuRausiRasyowaGwassanB・・・ 寺田寅彦 「火山の名について」
・・・laugh は (AS.)hlehhan から出たことになっているらしいが、この最初のhがとれて英語やドイツ語になり、そのhが「は」になり、それから「わ」になったと仮定するとどうやら日本語の「笑ふ」になりそうである。ギリシアの gelao ・・・ 寺田寅彦 「言葉の不思議」
Prof. Takematu Okada was born on August 17, 1874, In Husa of Tiba Prefecture, a sunny and peaceful riverside to・・・ 寺田寅彦 「PROFESSOR TAKEMATU OKADA」
・・・Yow that the beasts do wel behold and se,May deme with ease wherefore here made they beWithe borders wherein ………・・・ 夏目漱石 「倫敦塔」
・・・The axe was sharp, and heavy as lead,As it touched the neck, off went the head! Whir―whir―whir―whir!・・・ 夏目漱石 「倫敦塔」
・・・ Luigi Rasi のデュウゼ伝によると、デュウゼの血は劇場の内に流れていた。彼女は「劇場の子」である。 彼女の祖父はヴェネチアで評判の役者だった。そのころは幕がおりてから、役者が幕外へ明晩の芸題の披露に出る習慣であったが、・・・ 和辻哲郎 「エレオノラ・デュウゼ」
出典:青空文庫