・・・しかし海だけは見渡す限り、はるかに弧を描いた浪打ち際に一すじの水沫を残したまま、一面に黒ぐろと暮れかかっていた。「じや失敬。」「さようなら。」 HやNさんに別れた後、僕等は格別急ぎもせず、冷びえした渚を引き返した。渚には打ち寄せ・・・ 芥川竜之介 「海のほとり」
・・・河童は我々人間が河童のことを知っているよりもはるかに人間のことを知っています。それは我々人間が河童を捕獲することよりもずっと河童が人間を捕獲することが多いためでしょう。捕獲というのは当たらないまでも、我々人間は僕の前にもたびたび河童の国へ来・・・ 芥川竜之介 「河童」
・・・ただ耳を澄ますと、はるか遠くで馬鈴薯をこなしているらしい水車の音が単調に聞こえてくるばかりだった。 父は黙って考えごとでもしているのか、敷島を続けざまにふかして、膝の上に落とした灰にも気づかないでいた。彼はしょうことなしに監督の持って来・・・ 有島武郎 「親子」
・・・と青年との間の関係に対する理解がはるかに局限的であった。そうしてその思想が魔語のごとく当時の青年を動かしたにもかかわらず、彼が未来の一設計者たるニイチェから分れて、その迷信の偶像を日蓮という過去の人間に発見した時、「未来の権利」たる青年の心・・・ 石川啄木 「時代閉塞の現状」
・・・ 凝と、……視るに連れて、次第に、緩く、柔かに、落着いて弧を描きつつ、その円い線の合する処で、またスースーと、一寸二寸ずつ動出すのが、何となく池を広く大きく押拡げて、船は遠く、御幣ははるかに、不思議に、段々汀を隔るのが心細いようで、気も・・・ 泉鏡花 「伯爵の釵」
・・・ 舟のゆくはるかのさき湖水の北側に二、三軒の家が見えてきた。霧がほとんど山のすそまでおりてきて、わずかにつつみのこした渚に、ほのかに人里があるのである。やがて霧がおおいかくしそうなようすだ。予は高い声で、「あそこはなんという所かい」・・・ 伊藤左千夫 「河口湖」
・・・この国の面積と人口とはとてもわが日本国に及びませんが、しかし富の程度にいたりましてははるかに日本以上であります。その一例を挙げますれば日本国の二十分の一の人口を有するデンマーク国は日本の二分の一の外国貿易をもつのであります。すなわちデンマー・・・ 内村鑑三 「デンマルク国の話」
・・・このとき、沖のはるかに、赤い筋の入った一そうの大きな汽船が、波を上げて通り過ぎるのが見えました。露子は、ふと、この汽船は遠くの遠くへいくのではないかと思って見ていますと、お姉さまも、またじっとその船をごらんになりました。「お姉さま、この・・・ 小川未明 「赤い船」
・・・そして、結局は昨日に比べてはるかに傲慢な豹一に呆れてしまった。彼女の傲慢さの上を行くほどだったが、しかし彼女は余裕綽々たるものがあった。豹一の眼が絶えず敏感に動いていることや、理由もなくぱッと赧くなることから押して、いくら傲慢を装っても、も・・・ 織田作之助 「雨」
・・・西ははるかに水の行衛を見せて、山幾重雲幾重、鳥は高く飛びて木の葉はおのずから翻りぬ。草苅りの子の一人二人、心豊かに馬を歩ませて、節面白く唄い連れたるが、今しも端山の裾を登り行きぬ。 荻の湖の波はいと静かなり。嵐の誘う木葉舟の、島隠れ行く・・・ 川上眉山 「書記官」
出典:青空文庫