出典:青空文庫
・・・ 私が初めて甚深の感動を与えられ、小説に対して敬虔な信念を持つようになったのはドストエフスキーの『罪と罰』であった。この『罪と罰』を読んだのは明治二十二年の夏、富士の裾野の或る旅宿に逗留していた時、行李に携えたこの一冊を再三再四反覆して・・・ 内田魯庵 「二葉亭余談」
・・・ 私のような何にも知らないものさえ実はこの位にしか思わなかったのだから、その当時既にトルストイをもガンチャローフをもドストエフスキーをも読んでいた故長谷川二葉亭が下らぬものだと思ったのは無理もない、小説に関する真実の先覚者は坪内君よりは・・・ 内田魯庵 「明治の文学の開拓者」
・・・あの博大なドストエフスキーでさえ、貧乏ということはいゝことだが、貧乏以上の生活というものは呪うべきものだと云っている。それは神の偉大を以てしても救うことが出来ないから……」斯うまた、彼等のうちの一人の、露西亜文学通が云った。 また、つい・・・ 葛西善蔵 「子をつれて」
・・・ 私は、バルザックとドストエフスキーが流行しだしたという言葉をきいてその頃離京したのだが、いまでは、この世界第一流の作家もかえりみる者がすくなくなっているだろう。田舎で流行にはずれていると、バルザックや、ドストエフスキーや、トルストイは・・・ 黒島伝治 「田舎から東京を見る」
・・・シェークスピアを尊敬してゲーテをそれほどに思わないらしい。ドストエフスキー、セルバンテス、ホーマー、ストリンドベルヒ、ゴットフリード・ケラー*、こんな名前が好きな方の側に、ゾラやイブセンなどが好かない方の側に挙げられている。この名簿も色々の・・・ 寺田寅彦 「アインシュタイン」
・・・ここに来ると自分はどういうものかきっと、ドストエフスキーの「イディオット」の死刑場へ引かれる途上の光景を思い出すのである。これらのシーンの推移のテンポは緩急自在で、実に目にも止まらぬような機微なものがある。試みにこの一巻を取ってこれを如実に・・・ 寺田寅彦 「映画時代」
・・・日本の作家では夏目先生のものは別として国木田独歩、谷崎潤一郎、芥川竜之介、宇野浩二、その他数氏の作品の中の若干のもの、外国のものではトルストイ、ドストエフスキーのあるもの、チェホフの短編、近ごろ見たものでは、アーノルド・ベンネットやオルダス・・・ 寺田寅彦 「科学と文学」
・・・ ある批評家はセザンヌの作品とドストエフスキーの文学との肖似を論じている。自分も偶然に津田君の画とこの露文豪のある作品との間に共軛点を認めさせられている。殊に彼の『イディオット』の主人公の無技巧な人格の美に対して感じるような快感を津田君・・・ 寺田寅彦 「津田青楓君の画と南画の芸術的価値」
・・・静かな田舎で地味な教師をして、トルストイやドストエフスキーやロマン・ローランを読んだりセザンヌや親鸞の研究をしたり、生徒に化学などを授けると同時に図画を教えたり、時には知人の肖像をかいてやったりするような生活は、おそらく亮が昔から望んでいた・・・ 寺田寅彦 「亮の追憶」
・・・女の子でよかったとか、外に子供もあるからなどといって、慰めてくれる人もある、しかしこういうことで慰められようもない。ドストエフスキーが愛児を失った時、また子供ができるだろうといって慰めた人があった、氏はこれに答えて“How can I lo・・・ 西田幾多郎 「我が子の死」