出典:青空文庫
・・・斯ういう身体だったから、病的な人間の事にも考え及んでいたらしく、その事は内田魯庵氏の訳された『罪と罰』の評なぞにも現われていると思う。透谷君の晩年を慰めた一人の女の友達があったが、病床にいる時に、それとなくこの人に書いて宛てた慰めの言葉は、・・・ 島崎藤村 「北村透谷の短き一生」
・・・ 硯友社の文学的傾向に対して、作家は昔の戯作者に非ずとして、人生的な教養の必要を強調したのは、当時の内田魯庵その他所謂人生派の論客たちであった。 自然主義文学の動きは、硯友社的美文で造り上げられた現実を文学から追放して、もっとむき出・・・ 宮本百合子 「作家と教養の諸相」
・・・既に自然主義にはおさまれず、さりとて自身の伝統によって内田魯庵の唱導したような文学の方向にも向えず、新しい方向に向いつつ顫動していた敏感な精神の姿である。芥川の散文は教養のよせ木であり脆さが痛々しいばかりである。 最近十年間に登場した作・・・ 宮本百合子 「バルザックについてのノート」
・・・ 一葉の時代でも或る種類の――内田魯庵という風な評論家たちはやはり一葉なんかの文学に対していろいろ疑問を持っていたけれども、平塚雷鳥の出た明治四十年頃、青鞜社の時代という頃には女の人自身が自分達で自分達の才能を発揮するようにという希望で・・・ 宮本百合子 「婦人の創造力」