出典:青空文庫
・・・あの相模屋という大きな質屋と酒屋との間の長屋は、僕の家の長屋で、あの時分に玄関を作れるのは名主にだけは許されていたから、名主一名お玄関様という奇抜な尊称を父親はちょうだいしてさかんにいばっていたんだろう。 家は明治十四五年ごろまであった・・・ 夏目漱石 「僕の昔」
・・・ 大方はすゝきなりけり秋の山 伊豆相模境もわかず花すゝき 二十余年前までは金紋さき箱の行列整々として鳥毛片鎌など威勢よく振り立て振り立て行きかいし街道の繁昌もあわれものの本にのみ残りて草刈るわらべの小道一筋を除きて外は草・・・ 正岡子規 「旅の旅の旅」
・・・女が袖雉鳴くや草の武蔵の八平氏三河なる八橋も近き田植かな楊州の津も見えそめて雲の峰夏山や通ひなれたる若狭人狐火やいづこ河内の麦畠しのゝめや露を近江の麻畠初汐や朝日の中に伊豆相模大文字や近江の空もたゞならね・・・ 正岡子規 「俳人蕪村」
・・・やがて明応四年には小田原城を、永正十五年には相模一国を征服した。ちょうどインド航路が打開され、アメリカが発見されて、ポルトガル人やスペイン人の征服の手が急にのび始めたころである。 北条早雲の成功の原因は、戦争のうまかったことにもあるかも・・・ 和辻哲郎 「埋もれた日本」