出典:青空文庫
○虚子に誘われて珍らしく明治座を見に行った。芝居というものには全く無知無識であるから、どんな印象を受けるか自分にもまるで分らなかった。虚子もそこが聞きたいので、わざわざ誘ったのである。もっとも幼少の頃は沢村田之助とか訥升とか・・・ 夏目漱石 「明治座の所感を虚子君に問れて」
・・・ 不折ハ今巴里ニ居テコーランノ処ヘ通ッテ居ルソウジャナイカ。君ニ逢ウタラ鰹節一本贈ルナドトイウテ居タガ、モーソンナ者ハ食ウテシマッテアルマイ。 虚子ハ男子ヲ挙ゲタ。僕ガ年尾トツケテヤッタ。 錬郷死ニ非風死ニ皆僕ヨリ先ニ死ンデシマ・・・ 夏目漱石 「『吾輩は猫である』中篇自序」
・・・そこへ虚子が来たからこの画を得意で見せると、虚子は頻りに見て居たが分らぬ様子である。「それは手に柿を握って居るのだ」と説明して聞かすと、虚子は始めて合点した顔附で「それで分ったが、さっきから馬の肛門のようだと思うて見て居たのだ」というた。・・・ 正岡子規 「画」
朝蚊帳の中で目が覚めた。なお半ば夢中であったがおいおいというて人を起した。次の間に寝て居る妹と、座敷に寐て居る虚子とは同時に返事をして起きて来た。虚子は看護のためにゆうべ泊ってくれたのである。雨戸を明ける。蚊帳をはずす。この際余は口の・・・ 正岡子規 「九月十四日の朝」
・・・この時虚子が来てくれてその後碧梧桐も来てくれて看護の手は充分に届いたのであるが、余は非常な衰弱で一杯の牛乳も一杯のソップも飲む事が出来なんだ。そこで医者の許しを得て、少しばかりのいちごを食う事を許されて、毎朝こればかりは闕かした事がなかった・・・ 正岡子規 「くだもの」
・・・それが困るので甚だ我儘な遣り方ではあるが、左千夫、碧梧桐、虚子、鼠骨などいう人を急がしい中から煩わして一日代りに介抱に来てもらう事にした。介抱というても精神を慰めてもらうのであるから、先ずいろいろの話をしてその日を送って行く、その話というの・・・ 正岡子規 「病牀苦語」
・・・やがて虚子が京都から来る、叔父が国から来る、危篤の電報に接して母と碧梧桐とが東京から来る、という騒ぎになった。これが自分の病気のそもそもの発端である。〔『ホトトギス』第三巻第三号 明治32・12・10〕・・・ 正岡子規 「病」
・・・出来よろし。虚子に送附」と書かれている。 ホトトギスに、その小説は掲載されたのであったでしょう。発信というところに、八重子とあるから、そういう点では責任をはっきりさせる性質であった漱石は、その日のうちに返事や原稿の所置について手紙を書い・・・ 宮本百合子 「含蓄ある歳月」
ありふれた従来の日本文学史をみると、明治三十年代に写生文学というものをはじめて提唱した文学者として正岡子規、高浜虚子や『ホトトギス』派のことは出て来るが、長塚節のことはとりたてて触れられていない。 明治十二年に茨城県の・・・ 宮本百合子 「「土」と当時の写実文学」