出典:青空文庫
・・・が、にれぜん河のほとり、菩提樹の蔭に、釈尊にはじめて捧げたものは何であろう。菩薩の壇にビスケットも、あるいは臘八の粥に増ろうも知れない。しかしこれを供えた白い手首は、野暮なレエスから出たらしい。勿論だ。意気なばかりが女でない。同時に芬と、媚・・・ 泉鏡花 「燈明之巻」
・・・無憂樹の花、色香鮮麗にして、夫人が無憂の花にかざしたる右の手のその袖のまま、釈尊降誕の一面とは、ともに城の正室の細工だそうである。 面影も、色も靉靆いて、欄間の雲に浮出づる。影はささぬが、香にこぼれて、後にひかえつつも、畳の足はおのずか・・・ 泉鏡花 「夫人利生記」
・・・ 老病死の解決を叫んで王者の尊を弊履のごとくに捨てられた大聖釈尊は、そのとき年三十と聞いたけれど、今の世は老者なお青年を夢みて、老なる問題はどこのすみにも問題になっていない。根底より虚偽な人生、上面ばかりな人世、終焉常暗な人生…… ・・・ 伊藤左千夫 「紅黄録」
・・・趙州和尚は、六十歳から参禅・修業をはじめ、二十年をへてようやく大悟・徹底し、以後四十年間、衆生を化度した。釈尊も、八十歳までのながいあいだ在世されたればこそ、仏日はかくも広大にかがやきわたるのであろう。孔子も、五十にして天命を知り、六十にし・・・ 幸徳秋水 「死刑の前」
・・・から当時三十余歳の高橋左(衛門の門に入って測量の学を修め、七十歳を超えて、日本全国の測量地図を完成した、趙州和尚は、六十歳から參禅修業を始め、二十年を経て漸く大悟徹底し、爾後四十年間、衆生を化度した、釈尊も八十歳までの長い間在世されたればこ・・・ 幸徳秋水 「死生」
・・・ 桃太郎や猿蟹合戦のお伽噺でさえ危険思想宣伝の種にする先生方の手にかかれば老子はもちろん孔子でも孟子でも釈尊でもマホメットでもどのような風に解釈されどのような道具に使われるかそれは分からない。しかし『道徳教』でも『論語』でもコーランでも・・・ 寺田寅彦 「変った話」
・・・「前論士は仏教徒として菜食主義を否定し肉食論を唱えたのでありますが遺憾乍ら私は又敬虔なる釈尊の弟子として前論士の所説の誤謬を指摘せざるを得ないのであります。先ず予め茲で述べなければならないことは前論士は要するに仏教特に腐敗せる日本教権に・・・ 宮沢賢治 「ビジテリアン大祭」
・・・神農もソクラテスもカントもランスロットもエレーンも乃至はお染久松もこの問題に触れた。釈尊やイエスはこれを解いて、多くの精霊を救う。この救われたる衆生が真の人生を現わしたか。救われずして地獄の九圏の中に阿鼻叫喚しているはずの、たとえば歴山大王・・・ 和辻哲郎 「霊的本能主義」