出典:青空文庫
・・・その画中の人物は緑いろの光琳波を描いた扇面を胸に開いていた。それは全体の色彩の効果を強めているのに違いなかった。が、廓大鏡に覗いて見ると、緑いろをしているのは緑青を生じた金いろだった。わたしはこの一枚の写楽に美しさを感じたのは事実である。け・・・ 芥川竜之介 「侏儒の言葉」
・・・ 円福寺の方丈の書院の床の間には光琳風の大浪、四壁の欄間には林間の羅漢の百態が描かれている。いずれも椿岳の大作に数うべきものの一つであるが、就中大浪は柱の外、框の外までも奔浪畳波が滔れて椿岳流の放胆な筆力が十分に現われておる。 円福・・・ 内田魯庵 「淡島椿岳」
・・・障子は隔ての関を据えて、松は心なく光琳風の影を宿せり。客はそのまま目を転じて、下の谷間を打ち見やりしが、耳はなお曲に惹かるるごとく、髭を撚りて身動きもせず。玉は乱れ落ちてにわかに繁き琴の手は、再び流れて清く滑らかなる声は次いで起れり。客はま・・・ 川上眉山 「書記官」
・・・でない生活をして、そのうちに、世界美術全集などを見て、以前あんなに好きだったフランスの印象派の画には、さほど感心せず、このたびは日本の元禄時代の尾形光琳と尾形乾山と二人の仕事に一ばん眼をみはりました。光琳の躑躅などは、セザンヌ、モネー、ゴー・・・ 太宰治 「トカトントン」
・・・墨絵の美しさがわからなければ、高尚な芸術を解していないということだ、とでも思っているのであろうか。光琳の極彩色は、高尚な芸術でないと思っているのであろうか。渡辺崋山の絵だって、すべてこれ優しいサーヴィスではないか。 頑固。怒り。冷淡。健・・・ 太宰治 「如是我聞」
・・・ 色彩のモンタージュはいかにすべきかについてはやはり東洋画ことに宗達光琳の絵や浮世絵は参考になるであろう。俳諧連句もまたかなりの参考資料を提供するであろう。たとえば七部集炭俵の中にある「雪の松おれ口みればなお寒し」「日の出るまえの赤き冬・・・ 寺田寅彦 「映画芸術」
・・・大昔から何度となく外国文化を模倣し鵜のみにして来た日本にも、いつか一度は光琳が生まれ、芭蕉が現われ、歌麿が出たことはたしかである。それで、映画の世界にもいつかはまたそうした人が出るであろうという気長い希望をいだいてそうしてそれまでは与えられ・・・ 寺田寅彦 「映画雑感(1[#「1」はローマ数字、1-13-21])」
・・・ われらの祖先にも、少なくも芸術の上では、恐ろしく頭のいい独創的天才がいた。光琳歌麿写楽のごとき、また芭蕉西鶴蕪村のごときがそれである。彼らを昭和年代の今日に地下より呼び返してそれぞれ無声映画ならびに発声映画の脚色監督の任に当たらしめた・・・ 寺田寅彦 「映画時代」
・・・例えば光琳の草木花卉に対するのでも、歌麿や写楽の人物に対するのでもそうである。こういう点で自分が特に面白く思うのは古来の支那画家の絵である。尤も多くはただ写真などで見るばかりで本物に接する事は稀であるが、それだけでも自分は非常な興味を感じさ・・・ 寺田寅彦 「津田青楓君の画と南画の芸術的価値」
・・・しかしここにもし光琳でも山楽でも一枚持ってくればやっぱり光って見えはしないかとも思う。来年から、一室に一つくらいずつそういう参考品を陳列して刺戟剤にしてはどうかと、そんな事も考えてみた。 個人展覧会は別として、こういう綜合展覧会は結局個・・・ 寺田寅彦 「二科展院展急行瞥見記」