出典:青空文庫
・・・お爺いさんのする事は至って殊勝なようであるが、女中達は一向敬服していなかった。そればかりではない。女中達はお爺いさんを、蔭で助兵衛爺さんと呼んでいた。これはお爺いさんが為めにする所あって布団をまくるのだと思って附けた渾名である。そしてそれが・・・ 森鴎外 「心中」
・・・常磐橋の辻から、京町へ曲がる角に釜を据えて、手拭を被った爺いさんが、「ほっこり、ほっこり、焼立ほっこり」と呼んで売っているのである。酒は自分では飲まないが、心易い友達に飲ませるときは、好な饂飩を買わせる。これも焼芋の釜の据えてある角から二三・・・ 森鴎外 「独身」
・・・君だの、あの騾馬を手に入れて喜んだ司令官の爺いさんなんぞは、仙人だと思ったよ。己は騎兵科で、こんな服を着て徒歩をするのはつらかったが、これがあれば、もうてくてく歩きはしなくっても好いと云って、ころころしていた司令官も、随分好人物だったね。あ・・・ 森鴎外 「鼠坂」
・・・お前も見る通り、先生はこんなお爺いさんだ。もう今に七十に間もないお方だ。それにお前の見る通りの真面目なお方だ。どうだろう。」 こう云って、久保田はじっと花子の顔を見ている。はにかむか、気取るか、苦情を言うかと思うのである。「わたしな・・・ 森鴎外 「花子」
・・・ 丁度僕が這入った時、入口に近い所にいる、髯の長い、紗の道行触を着た中爺いさんが、「ひどい蚊ですなあ」と云うと、隣の若い男が、「なに藪蚊ですから、明りを附ける頃にはいなくなってしまいます」と云うその声が耳馴れているので、顔を見れば、蔀君・・・ 森鴎外 「百物語」
・・・「亡くなった兄いさんのおよめになら、一も二もなく来たのでございましょうが」と言いかけて、ご新造は少しためらった。ご新造はそういう方角からはお豊さんを見ていなかったのである。しかしお父うさまに頼まれた上で考えてみれば、ほかに弟のよめに相応した・・・ 森鴎外 「安井夫人」
・・・なんだか六十ぐらいになった爺いさん婆あさんのようじゃありませんか。一体百年も逢わないようだと初めに云っておいて、また古い話をするなんとおっしゃるのが妙ですね。貴夫人。なぜ。男。なぜって妙ですよ。女の方が何かをひどく古い事のように言う・・・ 著:モルナールフェレンツ 訳:森鴎外 「辻馬車」