せん‐ねん【先年】例文一覧 30件

  1. ・・・君は天性冷淡な人かとみれば、またけっしてそうでないことを僕は知っている。君は先年長男子を失うたときには、ほとんど狂せんばかりに悲嘆したことを僕は知っている。それにもかかわらず一度異境に旅寝しては意外に平気で遊んでいる。さらばといって、君に熱・・・<伊藤左千夫「去年」青空文庫>
  2. ・・・ 人間に対する用意は、まず畳を上げて、襖障子諸財一切の始末を、先年大水の標準によって、処理し終った。並の席より尺余床を高くして置いた一室と離屋の茶室の一間とに、家族十人の者は二分して寝に就く事になった。幼ないもの共は茶室へ寝るのを非常に・・・<伊藤左千夫「水害雑録」青空文庫>
  3. ・・・法師はくたびれて居てどうもしようがなかったのをたすけられてこの上もなくよろこび心をおちつけて油単の包をあらためて肩にかけながら、「私は越前福井の者でござりまするが先年二人の親に死に別れてしまったのでこの様な姿になりましたけれ共それがもうよっ・・・<著:井原西鶴 訳:宮本百合子「元禄時代小説第一巻「本朝二十不孝」ぬきほ(言文一致訳)」青空文庫>
  4. ・・・展覧会が開かれても、案内を受けて参観した人は極めて小部分に限られて、シカモ多くは椿岳を能く知ってる人たちであったから、今だにその画をも見ずその名をすらも知らないものが決して少なくないだろう。先年或る新聞に、和田三造が椿岳の画を見て、日本にも・・・<内田魯庵「淡島椿岳」青空文庫>
  5. ・・・ 先年侯井上が薨去した時、侯の憶い出咄として新聞紙面を賑わしたのはこの鹿鳴館の舞踏会であった。殊に大臣大将が役者のように白粉を塗り鬘を着けて踊った前代未聞の仮装会は当時を驚かしたばかりじゃない。今聴いてさえも余り突拍子もなくて、初めて聞・・・<内田魯庵「四十年前」青空文庫>
  6. ・・・ 先年、初夏の頃、水郷を旅行して、船で潮来から香取に着き、雨中、佐原まで来る途中、早くも掛茶屋の店頭に、まくわ瓜の並べてあるのをみて、これを、なつかしく思い、立寄って、たべたことがありました。 燕温泉に行った時、ルビーのような、・・・<小川未明「果物の幻想」青空文庫>
  7. ・・・うつそみの親のみすがた木につくりただに額ずり哭き給ひけん これは先年その木像を見て私が作った歌だ。 この帰省中に日蓮は清澄山での旧師道善房に会って、彼の愚痴にして用いざるべきを知りつつも、じゅんじゅんとして法華経に帰する・・・<倉田百三「学生と先哲」青空文庫>
  8. ・・・最近、岐阜の農民の暴動に対して軍隊が出動した。先年の、川崎造船所のストライキに対して、歩兵第三十九聯隊が出動した。三十九聯隊の兵士たちは、神戸地方から入営している。自分の工場に於ける同志や、農村に於ける親爺や、兄弟が、食って行かなければなら・・・<黒島伝治「入営する青年たちは何をなすべきか」青空文庫>
  9. ・・・日本でも時飛んでもないことをする者があって、先年西の方の某国で或る貴い塋域を犯した事件というのが伝えられた。聞くさえ忌わしいことだが、掘出し物という語は無論こういう事に本づいて出来た語だから、いやしくも普通人的感情を有している者の使うべきで・・・<幸田露伴「骨董」青空文庫>
  10. ・・・杉村楚人冠は、わたくしにたわむれて、「君も先年アメリカへの往きか返りかに船のなかででも死んだら、えらいもんだったがなァ」といった。彼の言は、戯言である。けれども、実際わたくしとしては、その当時が死すべきときであったかも知れぬ。死に所をえなか・・・<幸徳秋水「死刑の前」青空文庫>
  11. ・・・ 一昨年の夏、露国より帰航の途中で物故した長谷川二葉亭を、朝野挙って哀悼した所であった、杉村楚人冠は私に戯れて、「君も先年米国への往きか帰りかに船の中ででも死んだら偉いもんだったがなア」と言った。彼れの言は戯言である、左れど実際私として・・・<幸徳秋水「死生」青空文庫>
  12. ・・・岡田時彦さんである。先年なくなったが、じみな人であった。あんな、せつなかったこと、ございませんでした、としんみり述懐して、行儀よく紅茶を一口すすった。 また、こんな話も聞いた。 どんなに永いこと散歩しても、それでも物たりなかった・・・<太宰治「あさましきもの」青空文庫>
  13. ・・・母は七十歳まで生きて、先年なくなった。女たちは、みなたいへんにお寺が好きであった。殊にも祖母の信仰は異常といっていいくらいで、家族の笑い話の種にさえなっている。お寺は、浄土真宗である。親鸞上人のひらいた宗派である。私たちも幼時から、イヤにな・・・<太宰治「苦悩の年鑑」青空文庫>
  14. ・・・りまして、けれどもそれは無学の女だから、そのような思い切ったむごい仕打ちが出来るのか、と思うと、どうしてどうして、決してそういうものでなく、永く外国で勉強して来た女子大学の婆さん教授で、もうこのお方は先年物故なさいましたが、このお方のために・・・<太宰治「男女同権」青空文庫>
  15. ・・・間ですが、父は東北の山形のお役所に長くつとめていて、兄さんも私も山形で生れ、お父さんは山形でなくなられ、兄さんが二十くらい、私がまだほんの子供でお母さんにおんぶされて、親子三人、また東京へ帰って来て、先年お母さんもなくなって、いまでは兄さん・・・<太宰治「雪の夜の話」青空文庫>
  16.  数年前に「ボーヤ」と名づけた白毛の雄猫が病死してから以来しばらくわが家の縁側に猫というものの姿を見ない月日が流れた。先年、犬養内閣が成立したとおなじ日に一羽のローラーカナリヤが迷い込んで来たのを捕えて飼っているうち、ある朝・・・<寺田寅彦「ある探偵事件」青空文庫>
  17. ・・・ 先年水温を測る時の目じるしに、池の中のところどころに立てておいた竹ざおが雪の薄くつもった氷の上に頭を出している場合に、さおの北側へ妙な扇形の模様ができる事があった。これもおもしろいものである。これに関してはかつて気象集誌に簡単な記事を・・・<寺田寅彦「池」青空文庫>
  18.  今日七軒町まで用達しに出掛けた帰りに久し振りで根津の藍染町を通った。親友の黒田が先年まで下宿していた荒物屋の前を通った時、二階の欄干に青い汚れた毛布が干してあって、障子の少し開いた中に皺くちゃに吊した袴が見えていた。なんだ・・・<寺田寅彦「イタリア人」青空文庫>
  19. ・・・いくらか似た音を求めれば、製材所の丸鋸で材木を引き割るあの音ぐらいなものであろう。先年小田原の浜べで大波の日にヘルムホルツの共鳴器を耳に当て波音の分析を試みたことがあったが、かなりピッチの高い共鳴器で聞くとチリチリチリといったように一秒間に・・・<寺田寅彦「映画雑感(1[#「1」はローマ数字、1-13-21])」青空文庫>
  20. ・・・ わたくしは先年坊間の一書肆に於て饒歌余譚と題した一冊の写本を獲たことがある。作者は苔城松子雁戯稿となせるのみで、何人なるやを詳にしない。然しこの書は明治十年西南戦争の平定した後凱旋の兵士が除隊の命を待つ間一時谷中辺の寺院に宿泊していた・・・<永井荷風「上野」青空文庫>
  21. ・・・自分は閑静な車輛のなかで、先年英国のエドワード帝を葬った時、五千人の卒倒者を出した事などを思い出したりした。 汽車を下りて車に乗った時から、秋の感じはなお強くなった。幌の間から見ると車の前にある山が青く濡れ切っている。その青いなかの切通・・・<夏目漱石「初秋の一日」青空文庫>
  22. ・・・ 私は先年堺へ来たことがあります。これはよほど前私がまだ書生時代の事で、明治二十何年になりますか、何でもよほど久しい事のように記憶しております。実を言うと今登った高原君、あれは私が高等学校で教えていた時分の御弟子であります。ああいう立派・・・<夏目漱石「中味と形式」青空文庫>
  23. ・・・次に御話したいのは先年来自然主義をある一部の人が唱え出して以後世間一般ではひどくこれを嫌ってはては自然主義といえば堕落とか猥褻とかいうものの代名詞のようになってしまいました。しかし何もそう恐れたり嫌ったりする必要は毫もないので、その結果の健・・・<夏目漱石「文芸と道徳」青空文庫>
  24. ・・・然るに、徳教書編纂の事は、先年も文部省に発起して、すでに故森大臣の時に倫理教科書を草し、その草案を福沢先生に示して批評を乞いしに、その節、先生より大臣に贈りたる書翰ならびに評論一編あり。久しく世人の知らざるところなりしかども、今日また徳教論・・・<福沢諭吉「読倫理教科書」青空文庫>
  25. ・・・ 先年物故した或る作家の遺族の話が出た折、ある事情に通じたひとが「こんなになる位なら、早く結婚させてやるのだった」云々という意味のことを云い、その、させてやる云々という言葉づかいのうちにある重い、家長権的な表情を、私は一人の女として苦痛・・・<宮本百合子「鴎外・漱石・藤村など」青空文庫>
  26. ・・・「学問の自由を剥奪することがいかに危険なことであるかは、先年来すでに苦しい経験ずみであるにもかかわらず、今日またしてもこのような問題がくりかえされなければならないということは、正直にいって情ないとでもいうより他はない。」「しかし問題は実はこ・・・<宮本百合子「五〇年代の文学とそこにある問題」青空文庫>
  27. ・・・ 並木通新聞という言葉がある。 先年、モスクワ駐在の不幸な一日本海軍武官が神経の故障から何か個人的問題を起した。モスクワの或る新聞が社会面にそれを書いた。海軍武官はやがて日本の新聞もそれにならうであろうこと、それによって失われるであ・・・<宮本百合子「子供・子供・子供のモスクワ」青空文庫>
  28. ・・・ 先年妙解院殿御卒去の砌には、十九人の者ども殉死いたし、また一昨年松向寺殿御卒去の砌にも、簑田平七正元、小野伝兵衛友次、久野与右衛門宗直、宝泉院勝延行者の四人直ちに殉死いたし候。簑田は曾祖父和泉と申す者相良遠江守殿の家老にて、主とともに・・・<森鴎外「興津弥五右衛門の遺書」青空文庫>
  29. ・・・その候補者はどんな人間かと云うと、あらゆる不遇な人間だね。先年壮士になったような人間だね。」 茶を飲んで席を起つものがちらほらある。 木村は隠しから風炉鋪を出して、弁当の空箱を畳んで包んでいる。 犬塚は楊枝を使いながら木村に、「・・・<森鴎外「食堂」青空文庫>
  30. ・・・あの先年の大合戦の跡でおじゃろうが、跡を取り収める人もなくて……」「女々しいこと。何でおじゃる。思い出しても二方(新田義宗と義興の御手並み、さぞな高氏づらも身戦いをしたろうぞ。あの石浜で追い詰められた時いとう見苦しくあッてじゃ」「ほ・・・<山田美妙「武蔵野」青空文庫>