・・・しかし、この色は絵画的な定着を目的とせず、音楽的な拡大性に漂うて行くものでなければならず、不安と混乱と複雑の渦中にある人間を無理に単純化するための既成のモラルやヒューマニズムの額縁は、かえって人間冒涜であり、この日常性の額縁をたたきこわすた・・・ 織田作之助 「可能性の文学」
・・・たとえば、帽子をあみだにかぶっても気になるし、まぶかにかぶっても落ちつかないし、ひと思いに脱いでみてもいよいよ変だという場合、ひとはどこで位置の定着を得るかというような自意識過剰の統一の問題などに対しても、この小説は碁盤のうえに置かれた碁石・・・ 太宰治 「ダス・ゲマイネ」
・・・呼吸も、できぬくらいに、はっと一瞬おどろきの姿勢のままで、そのまま凝固し、定着してしまったのである。指一本うごかせない。棕櫚の葉の如く、両手の指を、ぱっとひろげたまま、活人形のように、ガラス玉の眼を一ぱいに見はったきり、そよとも動かぬ。極度・・・ 太宰治 「春の盗賊」
・・・事によると、昔のある時代に繁茂していた植物のコロニーが、ある年の大噴火で死滅し、その上に一メートルほどの降砂が堆積した後に、再び植物の移住定着が始まり、その後は無事で今日に到ったのではないかという気がする。 峰の茶屋には白黒だんだらの棒・・・ 寺田寅彦 「浅間山麓より」
・・・古い村落は永い間の自然淘汰によって、颱風の害の最小なような地の利のある地域に定着しているのに、新集落は、そうした非常時に対する考慮を抜きにして発達したものだとすれば、これはむしろ当然すぎるほど当然なことであると云わなければならない。 昔・・・ 寺田寅彦 「颱風雑俎」
・・・ 自分のとかく定着しようとするどちらかというと生物的な限界を、本当にテーマをつかんだ自分の作品の客観性でうち破り、一歩一歩進んでゆくような制作ぶりこそ、芸術らしいと思う。芸術は、小さい自分というホウセン花の実のようなものを歴史と社会との・・・ 宮本百合子 「作品と生活のこと」
・・・生きてゆくやりかた、の根源には、その集団の定着した地域の自然的条件が重大に関係した。その意味で、生産の現実事情が、集団間の関係としての政治をきめたし、歌うこころもちの波の高低も、おのずから、その社会の生きるやりかたによって、ニュアンスをちが・・・ 宮本百合子 「作家の経験」
・・・のアリサの熱情はその不安と定着との拒絶と自ら帰結を知らない点でも、実にジイド自身のものであると云える。「神がいないのだったら何をしたってかまわない」そういう神の否定ではない。自分の、各個人の本性から尽きず湧き上る要求、モラルがある。因習に強・・・ 宮本百合子 「ジイドとそのソヴェト旅行記」
・・・て、そこに伊藤整の人間及び文学者としての存在感が定着しきれるものならば、どうして彼自身、きわめて具体的なファイティング・スピリットをもって「チャタレー夫人の恋人」の告発状の中には、検察当局がその作品をちゃんとよんでいない節があることを公表す・・・ 宮本百合子 「人間性・政治・文学(1)」
・・・日本の自然主義作家が、一度は確立された自我に向って振う痛烈な自己の鞭打の精神力をもち得ず、低く日常茶飯事を観照し写実的作用を営むところに定着してしまったのは、理由ないことではなかった。 明治四十年から十年間に亙る旺盛な文学活動において、・・・ 宮本百合子 「文学における今日の日本的なるもの」
出典:青空文庫