あい‐そん【愛孫】
かわいい大切な孫。他人の孫についていう。
アイソン【ISON】
《International Scientific Optical Network》国際科学光学ネットワーク。ロシアを中心に複数国が参加する国際的な天体観測プロジェクトの一。
アイデアソン【ideathon】
《idea(アイデア)+marathon(マラソン)からの造語》一定期間、特定のテーマについてチームごとにアイデアを出し合い、共同作業で問題解決を図る催し。期間はふつう数時間から数日程度。→ハッカソン
あそん【朝臣】
《「あそみ」の音変化。中・近世は「あっそん」とも》 1 「あそみ(朝臣)」に同じ。 2 平安時代以降、五位以上の人につけた敬称としての姓(かばね)。三位(さんみ)以上は氏(うじ)の下につけ、四位...
あっそん【朝臣】
⇒あそん
おそん【汚損】
a stain汚損する stain; soil汚損したテーブル掛けa soiled tablecloth血で汚損したシャツa bloodstained shirtこの布地は汚損しやすいThis ...
かいがんにめんしたしちょうそん【海岸に面した市町村】
municipalities sitting on coastlines
かいそん【海損】
〔保険で〕an average (loss)共同[単独]海損a general [particular] average海損貨物sea-damaged goods海損供託金an average ...
かわせさそん【為替差損】
a currency exchange loss
かわせさそん【為替差損】
foreign exchange loss;loss on foreign exchange
きそん【毀損】
[共通する意味] ★物を壊したり傷つけたりすること。[英] destruction[使い方]〔破壊〕スル▽ビルを破壊する▽敵艦を破壊する〔毀損〕スル▽文化財を毀損する▽名誉毀損[使い分け]【1】...
ギャルソン
[共通する意味] ★飲食を提供する場で客の食事などの世話をする役の人。[使い方]〔給仕〕スル[使い分け]【1】「給仕」は、男女を問わず用いられる。また、「お客の給仕をする」のように、食事などの世...
けんそん【謙遜】
[共通する意味] ★自分自身や自分の物、行為を低くした態度をとる。[英] modesty; humility[使い方]〔謙遜〕(名・形動)スル▽すばらしい絵を「ほんのいたずら書きです」と謙遜する...
げんそん【現存】
[共通する意味] ★人間や事物があること。[英] existence[使い方]〔存在〕スル▽あの建物は現代では貴重な存在だ▽その風習は今なお存在している▽存在意義を失う〔所在〕スル▽責任の所在を...
げんそん【減損】
[共通する意味] ★減ること。また、減らすこと。[英] consumption[使い方]〔消耗〕スル▽体力を消耗する▽消耗品〔損耗〕スル▽旧式の機械は損耗が著しい▽損耗をきたす〔減損〕スル▽冷害...
ごうがんふそん【傲岸不遜】
おごりたかぶって人を見下すさま。思いあがって謙虚さのないさま。▽「傲岸」はお高くとまって威張ること。「傲」はおごる意。「岸」は切り立った崖がけの意で、際立って高い、角立つさま。「不遜」は高ぶってへりくだらないこと。
ししそんそん【子子孫孫】
末代まで。孫子まごこの代まで。代々。子孫の続く限りの意。▽「子孫」を重ねて強めた語。「孫孫」は「そんぞん」とも読む。
しょうりだいそん【小利大損】
わずかの利益のためにあくせくして、かえって大きな損をしてしまうこと。また、わずかな利益を得ようとして、より大きな利益を逃してしまうこと。
じりつじそん【自立自存】
他人に頼らず、自分の才覚で生活すること。
どくりつじそん【独立自尊】
人に頼らずに自分の力だけで事を行い、自己の人格・尊厳を保つこと。▽「自尊」は自身の品格を保つこと。
あえば‐こうそん【饗庭篁村】
[1855〜1922]小説家・劇評家。江戸の生まれ。本名、与三郎。号は竹の屋主人。江戸戯作文学系の作家。小説「当世商人気質」、「竹の屋劇評集」など。
アジソン【Joseph Addison】
[1672〜1719]英国の随筆家・政治家。18世紀随筆文学の興隆の祖。スティールと共同で「スペクテーター」紙を創刊。
アジソン【Thomas Addison】
[1793〜1860]英国の病理学者。アジソン病の発見およびその研究で有名。
アチソン【Edward Goodrich Acheson】
[1856〜1931]米国の発明家。電気炉を研究。人造ダイヤの合成実験中に、炭化珪素(けいそ)・人造黒鉛などの製法を発見。
アトキンソン【Robert William Atkinson】
[1850〜1929]英国の化学者。明治7年(1874)東京開成学校に招かれて来日。のち東京大学理学部教師として、日本の化学の育成に貢献。日本酒の醸造過程の研究でも知られる。著「日本醸酒編」。