姓氏の一。
まえかわやすお【前川康男】
[1921〜2002]児童文学作家。東京の生まれ。学徒出陣し、中国で終戦。戦争や国家の問題を問う「ヤン」「魔神の海」を発表。「かわいそうな自動車の話」で野間児童文芸賞を受賞。他に「奇跡クラブ」「おかあさんの生まれた家」など。平成3年(1991)紫綬褒章受章。
まえかわレポート【前川レポート】
《「国際協調のための経済構造調整研究会報告書」の通称》中曽根内閣の私的諮問機関として設けられた研究会が、昭和61年(1986)に提出。内需主導型の経済成長、輸出入・産業構造の抜本的転換、金融資本市場の自由化・国際化の推進、およびマル優などの貯蓄優遇税制の抜本的見直しなどを提言した。名称は、研究会の座長が前川春雄元日銀総裁だったことから。前川リポート。 [補説]昭和60年(1985)のプラザ合意後、円高が急速に進行したにもかかわらず、日本は依然として巨額の貿易黒字を計上し、欧米諸国との間で経済摩擦が生じていた。前川レポートは日本に市場開放と内需拡大を迫る米国など諸外国の外圧に対応する内容となっていたが、内需を刺激するための金融緩和策が国内のマネーサプライを急増させ、バブル経済を生む結果となった。
まえかわはるお【前川春雄】
[1911〜1989]銀行家。東京の生まれ。日本輸出入銀行副総裁などを経て、昭和54年(1979)日本銀行総裁に就任。第二次オイルショックに際して金融引き締め政策を取り、インフレの克服に尽力した。退任後は経済構造調整研究会の座長を務め、前川レポートと呼ばれる報告書をまとめた。
出典:gooニュース
【阪神】前川右京は9回2死から“ノーノー”阻止打も左翼守備を猛省「そっちよりも送球を…」
阪神前川右京外野手(21)が土壇場で屈辱を阻止した。敵地西武戦の9回表2死走者なし。1ボールから右腕ウィンゲンターの外角154キロを二遊間にはじき返し、遊撃内野安打をもぎ取った。「1打席目は真っすぐのタイミングで全部遅れていた。2打席目はだいぶ早めに始動した。
【阪神】藤川監督がノーノー阻止した前川右京を評価 不発の若虎に奮起促す「何が足りなくて、どうなりたいのか」
試合終了間際にチーム唯一の安打をマークしたのは、高卒4年目の前川右京。「ベンチに座っていてもゲームに集中していることが伝わってくる」と背番号58の姿勢を評価した試合後の藤川球児監督は「(前川と)同年代の選手たちがそれを見て何を感じて、自分に何が足りなくて、どうなりたいのか。
【阪神】9回2死から前川右京が内野安打…継投ノーノーを阻止もオープン戦3連敗
途中出場の前川右京外野手(21)が、5番手ウィンゲンターから二遊間深くへの遊撃内野安打を放った。阪神がオープン戦でノーヒットノーランを許したのは、2リーグ制後で球団史上初の屈辱をギリギリで回避した。初回、西武先発の菅井を前に、先頭井坪から3者凡退。3回に先頭の小野寺が四球、4回に先頭の中野が四球で出塁するも、5回まで無安打に抑え込まれた。
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