姓氏の一。
かわだおうこう【川田甕江】
[1830〜1896]幕末・明治前期の漢学者。備中の人。名は剛 (たけし) 。大橋訥庵 (おおはしとつあん) らに師事。文章家として知られた。著「文海指針」など。
かわだじゅん【川田順】
[1882〜1966]歌人。東京の生まれ。甕江 (おうこう) の子。佐佐木信綱門下。初期は浪漫的な作風で、のち写実的な傾向に転じた。実業界でも活躍。歌集「伎芸天」「山海経」「鷲」など。
かわだこいちろう【川田小一郎】
[1836〜1896]実業家。土佐の人。岩崎弥太郎が創立した九十九 (つくも) 商会(後の三菱商会)に幹部として参加、鉱山事業を統括し、三菱財閥創業期の功労者として活躍した。後に日本銀行総裁に就任して強い指導力を発揮、「日銀の法王」と呼ばれた。また高橋是清を登用するなど、人材の育成にも力を注いだ。
出典:gooニュース
「あれ、ルメールと川田は?」 フェブラリーS枠順だけでない“異変”に疑問の声「時差とか…」
賢明な競馬ファンにとっては周知の事実だが、今年の初G1ということで注目するライト層からすればビックリのようで、ネット上では「あれ、ルメールと川田は?」「武さんいないの」「常連騎手いないな」「キングさんは金曜日にサウジで乗って帰国してフェブラリーって、時差とかいろいろ大丈夫なのかな」といった声が上がっている。
川田順造の仕事 人間の生の痕跡から歴史を見渡す 松田素二
その示唆は、川田さんの作品群に一貫して埋め込まれており、それらは、私が20代の駆け出しアフリカニストだった時代から、川田さんから伝えられたものでもある。その一貫性と継続性には心底驚嘆する。「普遍化」を批判 数十冊に及ぶ膨大な作品群に通底する川田人類学のエッセンスを知るために、三つの作品を取り上げよう。
川田(旭化成)初優勝 県柔道選手権
体重無差別で争う第42回県柔道選手権は9日、宮崎市のひなた武道館で男女10部門を行い、一般男子は川田修平(旭化成)が初優勝。同女子の川口彩絵(鵬翔高)も初の栄冠に輝いた。
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