姓氏の一。
かわだおうこう【川田甕江】
[1830〜1896]幕末・明治前期の漢学者。備中の人。名は剛 (たけし) 。大橋訥庵 (おおはしとつあん) らに師事。文章家として知られた。著「文海指針」など。
かわだじゅん【川田順】
[1882〜1966]歌人。東京の生まれ。甕江 (おうこう) の子。佐佐木信綱門下。初期は浪漫的な作風で、のち写実的な傾向に転じた。実業界でも活躍。歌集「伎芸天」「山海経」「鷲」など。
かわだこいちろう【川田小一郎】
[1836〜1896]実業家。土佐の人。岩崎弥太郎が創立した九十九 (つくも) 商会(後の三菱商会)に幹部として参加、鉱山事業を統括し、三菱財閥創業期の功労者として活躍した。後に日本銀行総裁に就任して強い指導力を発揮、「日銀の法王」と呼ばれた。また高橋是清を登用するなど、人材の育成にも力を注いだ。
出典:gooニュース
【ブルーバードC】川田「押し出される形になりました」メルキオルが横綱相撲で快勝
1月22日、船橋競馬場で行われた交流G3・ブルーバードカップ(ダ1800m)は、JRAのメルキオルが交流重賞初制覇を飾った。同馬は芝レースでデビューしたが、ダート戦では負けなしの3勝とした。断然の1番人気に推されたクァンタムウェーブは2着でナダル産駒のワンツーとなった。 ブルーバードカップ、勝利ジョッキーコメント 1着 メルキオル 川田将雅騎手
元暴走王・小川直也氏と再会…川田利明が語る〝ハッスル〟の記憶「橋本選手は本当にいい人だった」
小川氏によると「橋本さんは本当に川田さんのことをいつもべた褒めだった。『何としてでもゼロワンに』という熱意が伝わってきた」と、橋本さんも川田をリスペクトしていたという。 川田は「不思議なのはあれだけのクセのあるプロレス界で、橋本選手と小川選手は俺に寄り添ってくれたのよ。だから、俺はその頃、すごいうれしかった」とも告白。
フリーアナウンサー川田裕美、阪神・淡路大震災の被災体験明かし「とにかく布団をかぶって…」
フリーアナウンサー川田裕美(41)が17日、アメーバブログを更新。阪神・淡路大震災の被災体験をつづった。川田アナは「30年経ったと思えないほど1月17日午前5時46分の記憶は鮮明です。聞いたことも感じたこともない大きな音と突き上げで目が覚め、とにかく布団をかぶって揺れに耐えました。
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