みぶがわ‐どおり【壬生川通り】
京都市街地を南北に走る道路の呼び名。北の後院通りから南の九条通りに至る。全長約2.7キロ。平安京の壬生大路にあたる。壬生通り。
みや‐の‐め【宮咩/宮売】
平安時代以降、不吉を避け、幸福を祈願して、正月と12月の初午(はつうま)の日に、高皇産霊神(たかみむすひのかみ)以下6柱の神を祭ったこと。みやのめのまつり。
みょうぎょう‐どう【明経道】
律令制の大学寮での四道の一。論語・孝経などの経書を学ぶ学科。奈良中期に文章(もんじょう)道・明法(みょうぼう)道が分立。平安以後は文章道に圧倒された。みょうぎょう。めいけいどう。
みょうぎょう‐の‐いえ【明経の家】
明経道を専攻する家柄。平安中期以降、清原・中原両家および清原家の分家である船橋・伏原両家の世襲。
みょうぎょう‐はかせ【明経博士】
明経道の教官。平安中期以降、清原・中原両家の世襲。大学の博士。
みょう‐しゅ【名主】
平安後期から中世にかけての名田(みょうでん)所有者。領主に対して年貢・夫役(ぶやく)などの負担の義務を負う一方、家族・所従・下人などに名田を耕作させた。
みょう‐でん【名田】
平安後期から中世にかけて、荘園や国衙領(こくがりょう)の構成単位をなす田地。開墾・購入・押領などによって取得した田地に、取得者の名を冠して呼んだもの。名(みょう)。→名主(みょうしゅ)
みょう‐ぶ【命婦】
1 律令制で、五位以上の女官、また五位以上の官人の妻の称。前者を内命婦(ないみょうぶ)、後者を外命婦(げみょうぶ)という。 2 平安中期以降、中級の女官や中﨟(ちゅうろう)の女房の称。「靱負(ゆ...
みょうぼう‐はかせ【明法博士】
明法道の教官。平安中期以降は、坂上・中原両家の世襲となった。
むさし‐しちとう【武蔵七党】
平安末期から室町初期にかけて武蔵国に存在した同族武士団。丹治(たんじ)・私市(きさい)・児玉・猪股(いのまた)・西・横山・村山の七氏。