き‐な・れる【来慣れる/来馴れる】
[動ラ下一][文]きな・る[ラ下二]ふだんよく来て慣れている。通い慣れる。来つける。「—・れたゴルフ場」
き‐はな・る【来離る】
[動ラ下二]今までいたところを離れる。「青丹(あをに)よし奈良を—・れ」〈万・四〇〇八〉
き・ふ【来経】
[動ハ下二]年月が訪れては過ぎ去る。「はねず色のうつろひ易き心あれば年をそ—・ふる言(こと)は絶えずて」〈万・三〇七四〉
き‐へな・る【来隔る】
[動ラ四]来て隔たりができる。一説に、障害となって間が隔たる意とも。「あしひきの山—・りて玉桙(たまほこ)の道の遠けば」〈万・三九六九〉
き‐むか・う【来向かふ】
[動ハ四]時や人がやってくる。近づいてくる。「日並(ひなみし)の皇子の命(みこと)の馬並(な)めて御(み)狩り立たしし時は—・ふ」〈万・四九〉
く【来】
[動カ変]「く(来)る」の文語形。
く‐さ【来さ】
《「さ」は時の意の接尾語。「行くさ来さ」の形で用いられる》こちらへ来る時。こちらへ帰る時。来るさ。「青海原風波なびき行くさ—障(つつ)むことなく船は早けむ」〈万・四五一四〉
くめ‐うた【久米歌/来目歌】
古代歌謡のうち、記紀の神武天皇の条にある久米部(くめべ)が歌ったとされる6首の歌。また、特に久米舞に用いる歌をいう。
くめ‐べ【久米部/来目部】
古代の部の一。朝廷の宮門の警衛を担当した。
くめ‐まい【久米舞/来目舞】
宮中の儀式歌舞。舞人四人。もと久米氏が、のちには大伴・佐伯(さえき)両氏が大嘗会(だいじょうえ)などに奉仕した。室町末期に廃絶、江戸末期に復興した。