姓氏の一。
ひらがげんない【平賀源内】
[1728〜1780]江戸中期の本草学者・戯作者。讃岐 (さぬき) の人。名は国倫 (くにとも) 。字 (あざな) は子彝 (しい) 。号、鳩渓。他に福内鬼外 (ふくちきがい) ・風来山人・森羅万象などと称した。本草学・蘭学・物産学・国学を学び、物産会を開催し、火浣布 (かかんぷ) ・エレキテル・寒暖計などを発明。戯作・浄瑠璃にも才能を発揮した。殺人のため入獄、病死。著「風流志道軒伝」「根無草」、浄瑠璃「神霊矢口渡 (しんれいやぐちのわたし) 」など。 桜田常久の時代小説。昭和15年(1940)発表。同年、第12回芥川賞受賞。
ひらがともまさ【平賀朝雅】
[?〜1205]鎌倉前期の武将。信濃の人。北条時政の後妻牧の方の女婿。比企能員 (ひきよしかず) 追討などで功績があった。のち、牧の方と謀って将軍になろうと企てて討たれた。
ひらがもとよし【平賀元義】
[1800〜1866]江戸後期の国学者・歌人。岡山藩士。本姓は平尾。脱藩後、平賀と称し、中国地方を流浪。賀茂真淵に私淑し、万葉調の歌を詠んだ。家集「平賀元義歌集」など。
出典:gooニュース
べらぼうで脚光「平賀源内」才能溢れる彼の失敗 今風にいう「フリーランス」としても活躍した
その『細見嗚呼御江戸』には、平賀源内が「福内鬼外(ふくうちきがい)」の名で序文を寄せている。 ならば、2人には何かしらの交流があったのではないか……という着想から、大河ドラマ「べらぼう」では源内にもスポットライトがあてられることになった。 多岐にわたるジャンルで名を残した平賀源内は「飄々とした神出鬼没の自由人」というイメージが強い。
『べらぼう』「非常の人」平賀源内、エレキテルを復元、戯作の開祖ともされる天才の波乱の生涯、蔦重との接点は?
長じて、各方面で才能を発揮し、名を上げるようになっても、本草学者だという自負を強く抱いていたと考えられている(土井康弘『本草学者 平賀源内』)。 故郷を離れ、江戸へ 寛延2年(1749)、父・白石茂左衛門が亡くなり、源内が22歳で家督を相続した。 家督を継いだ源内は、敬愛する遠祖の「平賀」姓を名乗るようになる。
平賀源内探し思わぬ顛末…安田顕&小芝風花の演技合戦に、視聴者大興奮「オーラがすごい」【べらぼう】
そうやって下調べもなにもないもんだから、「貧家銭内」と名乗る眼の前の男が平賀源内本人と気づかず、吉原でちゃっかり接待をさせられるという始末。 この展開にSNSも「本人に『平賀源内先生知りませんか?』ってw」「ばっかもーん、そいつがエレキテルだ!」「貧家銭内・・・平賀源内・・・なるほどなw」「ハッ、源内先生さっそく吉原のリサーチはじめてる!!」「若い子は手近な岡場所に行く。
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