あさのそういちろう【浅野総一郎】
[1848〜1930]実業家。富山の生まれ。渋沢栄一の助力を得て官営深川セメント工場の払い下げを受け、浅野セメントを設立。海運・炭鉱・造船など事業を多角化し、浅野財閥を築いた。
あさのながこと【浅野長勲】
[1842〜1937]幕末・維新期の安芸広島藩主。薩長両藩と討幕挙兵の盟約を結び、大政奉還運動にも参加。維新後、議定・参与を経て元老院議官・イタリア公使などを歴任。
あさのながのり【浅野長矩】
[1667〜1701]江戸中期の播磨 (はりま) 国赤穂 (あこう) 藩主。内匠頭 (たくみのかみ) 。元禄14年(1701)3月14日、勅使接待役となったが、吉良義央 (きらよしなか) を江戸城中で傷つけたため即日切腹、領地は没収された。
出典:gooニュース
浅野忠信&大森南朋『Broken Rage』インタビュー:北野武監督の“笑い”に挑戦
【大森】浅野さんは昔から全然ブレないんです。僕が「売れたい」と頑張っていた頃にはすでにトップにいましたし、僕らの世代では「浅野さんの真似はするな」が合言葉でした(笑)。浅野さんにしかできないスタイルがあって、真似してもうまくいかない。その距離感はずっと変わらなくて、「少し近づけたかな?」と思ったら、アメリカで賞をもらっていました(笑)。人としてもすごく素敵。
浅野忠信&大森南朋、“お笑い将軍”を前に挑んだ全力コメディ 「光栄」も、「かなり悩みました」
僕ら世代からいうと浅野くんは、早くからトップにいた人なので。それでやっと少し近づいたかなと思ったらアメリカ進出して。最初からまったくブレていない。浅野くんにしかできない芝居をする。当時僕らのなかで「浅野くんの真似をしちゃダメだ」というのが合言葉でした。浅野くんを目指している子たちはみんなダメになっている。それぐらい憧れの俳優でした。浅野:いやいやそんな……。
照屋年之監督インタビュー「浅野忠信さんにオファーすると〝脚本が面白い〞と出ていただけることになり、とてもうれしかったです」|映画『かなさんどー』
『こういう理由でダメです』と言うと、浅野さんは何度でも『わかりました』と応えてくれる。それで〝くっ〞と集中し、浅野さんが『(カメラを回して)オッケーです』と言い、『よ~い、スタート』で涙ぽろ。『カット、違います、なぜなら……』と、その繰り返し。そのたびに浅野さんは涙を拭き、気持ちをつくろうと〝くっ〞と集中されるのですが、『殴りかかる前の〝くっ〞じゃないよね!?』と、とにかく怖くて!
もっと調べる