あねがこうじ‐きんとも【姉小路公知】
[1840〜1863]幕末の公家。三条実美と親しく、安政五か国条約調印の勅許に反対、尊攘派公家の中心的存在となった。宮中から退出の際、暗殺された。
いのうえ‐みちやす【井上通泰】
[1867〜1941]国文学者・歌人。兵庫の生まれ。柳田国男の兄。御歌所寄人(よりゅうど)。宮中顧問官。著「万葉集新考」「播磨風土記新考」など。
おの‐の‐こうたいこう【小野皇太后】
[1021〜1102]後冷泉(ごれいぜい)天皇の皇后。藤原教通(ふじわらののりみち)の娘。歓子(かんし)。関白頼通(よりみち)の娘が宮中に入ると、怒って小野の山房に移り、出家した。
ごんそう【勤操】
[758〜827]奈良末期から平安初期の三論宗の僧。大和の人。大安寺で三論を学び、宮中の講義を認められて大僧都・東大寺別当となる。石淵寺を開創。石淵僧正。ごんぞう。きんそう。
ささき‐たかゆき【佐々木高行】
[1830〜1910]政治家。土佐の人。大政奉還運動に参加。明治維新後、新政府に加わり、岩倉遣外使節団に随行。宮中で勢力を有し、日記「保古飛呂比(ほごひろい)」を残した。
みしま‐ちゅうしゅう【三島中洲】
[1831〜1919]漢学者。備中(びっちゅう)の生まれ。名は毅(つよし)。東大教授・東宮侍講・宮中顧問官などを歴任。明治10年(1877)漢学塾二松学舎を創立した。著「詩書輯説」「論学三百絶」...
りゅう‐きょう【劉向】
[前77ころ〜前6]中国、前漢の経学者。本名、更生。字(あざな)は子政。宮中の書物の校訂・整理に当たり、書籍解題「別録」を作り、目録学の祖と称される。著「説苑(ぜいえん)」「洪範五行伝」「新序」...