とくがわ‐いえしげ【徳川家重】
[1712〜1761]江戸幕府第9代将軍。在職1745〜1760。吉宗の長男。生来病弱のため政務に耐えられず、側用人大岡忠光が権勢を振るった。
とくがわ‐いえつぐ【徳川家継】
[1709〜1716]江戸幕府第7代将軍。在職1713〜1716。家宣の四男。4歳で家督を相続。間部詮房(まなべあきふさ)・新井白石の補佐により、幕府刷新が行われた。
とくがわ‐いえつな【徳川家綱】
[1641〜1680]江戸幕府第4代将軍。在職1651〜1680。家光の長男。生来病弱のため、治政初期は保科正之・松平信綱らの老中が補佐し、後半は大老酒井忠清が実権を握った。
とくがわ‐いえなり【徳川家斉】
[1773〜1841]江戸幕府第11代将軍。在職1787〜1837。一橋治済(ひとつばしはるさだ)の長男。松平定信を老中に登用し、寛政の改革を行った。定信の失脚後はみずから政治を執り、ぜいたくな...
とくがわ‐いえのぶ【徳川家宣】
[1662〜1712]江戸幕府第6代将軍。在職1709〜1712。甲府藩主徳川綱重の長男。綱吉の養嗣子。柳沢吉保を退け、間部詮房(まなべあきふさ)・新井白石を重用して政治の刷新を行った。
とだ‐もすい【戸田茂睡】
[1629〜1706]江戸前期の歌学者・歌人。駿河の人。名は恭光(やすみつ)。通称、茂右衛門。号、梨本(なしのもと)・隠家。岡崎藩本多氏に仕えたが、のち江戸浅草に隠棲。二条家の歌学を批判して用語...
どどいつぼう‐せんか【都都逸坊扇歌】
[1804〜1852]江戸後期の俗曲演奏家。初世。常陸(ひたち)の人。本名、岡福次郎。当時流行の都々逸節を改良して今日の曲調に定着させた。即席や謎解きも得意としたが、風刺性をとがめられて江戸を去った。
なかい‐りけん【中井履軒】
[1732〜1817]江戸中期の儒学者。大坂の人。名は積徳。甃庵(しゅうあん)の次男。兄竹山とともに五井蘭洲に学び、折衷主義的で自由な学風を樹立した。著「七経逢原」「年成録」など。
なかがわ‐おつゆう【中川乙由】
[1675〜1739]江戸中期の俳人。伊勢の人。通称、喜右衛門。別号、麦林舎・梅我。岩田涼菟(いわたりょうと)に師事。伊勢派の中心人物。平俗軽妙な作風で知られた。編著「麦林集」「伊勢新百韻」など。
なかばやし‐ちくとう【中林竹洞】
[1776〜1853]江戸後期の文人画家。尾張の人。名は成昌。字(あざな)は伯明。瀟洒(しょうしゃ)な山水画を得意とした。著「竹洞画論」など。