きっかわ‐れいか【吉川霊華】
[1875〜1929]日本画家。東京の生まれ。本名、準(ひとし)。狩野派・土佐派を学び、のち冷泉為恭(れいぜいためちか)に私淑して大和絵を研究。白描画を得意とした。代表作「離騒」。
きむら‐けんかどう【木村蒹葭堂】
[1736〜1802]江戸中期の文人。大坂の人。名は孔恭。通称、坪井屋吉右衛門。別号、巽斎(そんさい)。本草学・絵画・詩文を学び、書画骨董を収集。著「蒹葭堂日記」など。
きむら‐しょうはち【木村荘八】
[1893〜1958]洋画家。東京の生まれ。岸田劉生とともにフュウザン会の結成に参加。のち春陽会会員として活躍。挿絵や随筆にもすぐれた。著「東京繁昌記」など。直木賞作家の木村荘十は異母弟に当たる。
くぼた‐べいせん【久保田米僊】
[1852〜1906]日本画家。京都の生まれ。本名、満寛。鈴木百年(すずきひゃくねん)に師事。「国民新聞」の挿絵を担当し、報道画に新分野を切り開いた。
こいで‐しょうご【小出正吾】
[1897〜1990]児童文学作家。静岡の生まれ。明治学院大学教授、三島市教育委員長などを歴任。キリスト者としてのヒューマニズムに基づく作品を発表、英米の児童文学の訳書も多い。童話集「白い雀(す...
こいで‐ならしげ【小出楢重】
[1887〜1931]洋画家。大阪の生まれ。裸婦を多く描き、要約されたボリュームの処理と油絵の粘りと輝きを生かしたマチエールで独自の画境を開いた。
こうあみ【幸阿弥】
[1410〜1478]室町後期の蒔絵師(まきえし)。本名、土岐四郎左衛門道長。足利義政に仕え、入道して幸阿弥と称す。下絵に土佐光信の大和絵や能阿弥・相阿弥らの作品を用いた。→幸阿弥派
こう‐すうこく【高嵩谷】
[1730〜1804]江戸後期の町絵師。江戸の人。名は一雄。別号、屠竜翁(とりゅうおう)など。英一蝶(はなぶさいっちょう)門下の佐脇嵩之(さわきすうし)に学び、武者絵に新境地を開いた。浅草寺の「...
ごせだ‐ほうりゅう【五姓田芳柳】
[1827〜1892]画家。江戸の人。本姓、浅田。浮世絵や狩野派を学ぶ一方、長崎で洋画に出会い、独学でそれらを折衷した画風を創出。横浜で肖像画・風俗画を多く描き、横浜画とよばれた。
ゴーキー【Arshile Gorky】
[1904〜1948]米国の画家。アルメニア生まれで米国に移住。シュールレアリスムの影響を受けて特異な抽象画を描き、米国における抽象絵画の先駆者となった。