ふじわら‐の‐おつぐ【藤原緒嗣】
[773〜843]平安初期の公卿。百川(ももかわ)の長男。桓武天皇の寵を受け、参議・左大臣などを歴任。「新撰姓氏録」「日本後紀」の編者の一人。
ふじわら‐の‐すみとも【藤原純友】
[?〜941]平安中期の貴族。伊予掾(じょう)となって下向。瀬戸内海の海賊と結んで反乱を起こしたが、敗れて殺された。→承平天慶(じょうへいてんぎょう)の乱
ふじわら‐の‐たねつぐ【藤原種継】
[737〜785]奈良後期の公卿。宇合(うまかい)の孫。桓武天皇の信任厚く長岡京造宮使となったが、皇太子早良親王と不和になり、造宮の視察中に暗殺された。
ふじわら‐の‐ためうじ【藤原為氏】
[1222〜1286]鎌倉中期の歌人。為家の長男。為世の父。二条家の祖。「続拾遺集」を撰進。
ふじわら‐の‐ためすけ【藤原為相】
⇒冷泉為相(れいぜいためすけ)
ふじわら‐の‐のりかね【藤原範兼】
[1107〜1165]平安後期の歌人・歌学者。従三位刑部卿。著「和歌童蒙抄」など。
ふじわら‐の‐ひでさと【藤原秀郷】
平安中期の東国の武将。俗称、俵藤太(たわらとうた)。平将門の乱を平貞盛とともに平定し、下野守・武蔵守となる。小山・結城氏などはその子孫。百足(むかで)退治の伝説でも知られる。生没年未詳。
ふじわら‐の‐ひでひら【藤原秀衡】
[?〜1187]平安後期の陸奥(むつ)の豪族。基衡の子。鎮守府将軍。平家滅亡後は、源義経をかくまって頼朝に対抗。奥州藤原氏3代の栄華の頂点をつくった。
ふじわら‐の‐ももかわ【藤原百川】
[732〜779]奈良後期の公卿。宇合(うまかい)の子。初名、雄田麻呂。称徳天皇の没後、光仁天皇を擁立して道鏡を追放し、山部親王(桓武天皇)の立太子を実現するなど、藤原氏発展のもとをつくった。
ふじわら‐よしえ【藤原義江】
[1898〜1976]テノール歌手。山口の生まれ。藤原歌劇団を創設し、日本のオペラ運動の先駆者となった。