かねあきら‐しんのう【兼明親王】
[914〜987]醍醐天皇の皇子。源姓を名のり、左大臣となったが、関白藤原兼通にうとまれて辞任、嵯峨(さが)に引退。学問・詩歌にすぐれ、作品は本朝文粋・和漢朗詠集に収載。著「池亭記」。小倉親王。...
ガザン‐ハン【Ghāzān Khan】
[1271〜1304]イル‐ハン国第7代の英主。中央集権的諸改革を断行し、イスラム教に改宗してイラン人との融和を図った。学問・芸術を奨励した博学・多才の帝王としても有名。
きやま‐しょうへい【木山捷平】
[1904〜1968]小説家・詩人。岡山の生まれ。詩人として出発したのち、昭和8年(1933)、太宰治らと「海豹(かいひょう)」を創刊。庶民性に徹した私小説で知られる。「大陸の細道」で芸術選奨。...
こう‐ゆう【孔融】
[153〜208]中国、後漢の学者。魯(ろ)(山東省)の人。字(あざな)は文挙。孔子20世の孫。献帝に仕え、学問を興隆させたが、曹操(そうそう)に憎まれ、処刑された。建安七子の一人。著「孔北海集」。
こ‐えんぶ【顧炎武】
[1613〜1682]中国、明末・清初の思想家・学者。崑山(こんざん)(江蘇省)の人。字(あざな)は寧人。号、亭林。その学問は経世を目的とし、歴史・地理・制度史・経学・音韻訓詁(くんこ)など多方...
こが‐せいり【古賀精里】
[1750〜1817]江戸後期の儒学者。肥前の人。名は樸(すなお)。字(あざな)は淳風。陽明学・朱子学を学び、藩校を経て昌平坂学問所教授となる。柴野栗山・尾藤二洲とともに、寛政の三助と称された。...
こが‐とうあん【古賀侗庵】
[1788〜1847]江戸後期の儒学者。肥前の人。精里の三男。名は煜。諸子百家に通じ、父とともに昌平坂学問所の教授を務めた。著「海防臆測」「劉子」など。
コジモ‐デ‐メディチ【Cosimo de' Medici】
[1389〜1464]イタリア、フィレンツェの支配者。市民ながら巨富によって専制君主となる。一時追放されたが、帰国後再び市を支配。ルネサンスの文芸・美術・学問を奨励し、「国父」の称号を受けた。→...
ごみずのお‐てんのう【後水尾天皇】
[1596〜1680]第108代天皇。在位、1611〜1629。後陽成天皇の第3皇子。名は政仁(ことひと)。禁中並公家諸法度の制定などによる幕府の圧迫に対する不満から明正天皇に譲位、その後4代に...
さとう‐いっさい【佐藤一斎】
[1772〜1859]江戸後期の儒学者。江戸の人。名は坦。中井竹山・林述斎に学び、林家の塾長、昌平坂学問所教授を歴任。門人から渡辺崋山・佐久間象山・中村正直らを出した。著「言志録」など。