・・・ 婆さんは三百弗の小切手を見ると、急に愛想がよくなりました。「こんなに沢山頂いては、反って御気の毒ですね。――そうして一体又あなたは、何を占ってくれろとおっしゃるんです?」「私が見て貰いたいのは、――」 亜米利加人は煙草を啣・・・ 芥川竜之介 「アグニの神」
・・・洋一はその看護婦にも、はっきり異性を感じながら、妙に無愛想な会釈を返した。それから蒲団の裾をまわって、母の顔がよく見える方へ坐った。 お律は眼をつぶっていた。生来薄手に出来た顔が一層今日は窶れたようだった。が、洋一の差し覗いた顔へそっと・・・ 芥川竜之介 「お律と子等と」
・・・と答えましたが、すぐにまた哀訴するような眼なざしを恐る恐る泰さんの顔へ挙げて、「やっと正気になりました時には、もう夜が明けて居りましたんです。」と、怨めしそうにつけ加えると、急に袂を顔へ当てて、忍び泣きに咽び入りました。そう云う内にも外の天・・・ 芥川竜之介 「妖婆」
・・・ 父は矢部の取りなし顔な愛想に対してにべなく応じた。父はすぐ元の問題に返った。「それは早田からお聞きのことかもしれんが、おっしゃった値段は松沢農場に望み手があって折り合った値段で、村一帯の標準にはならんのですよ。まず平均一段歩二十円・・・ 有島武郎 「親子」
・・・うっかり女房にでも愛想を見せれば大事になる。「まあ辛抱してやるがいい。ここの親方は函館の金持ちで物の解った人だかんな」 そういって小屋を出て行った。仁右衛門も戸外に出て帳場の元気そうな後姿を見送った。川森は財布から五十銭銀貨を出して・・・ 有島武郎 「カインの末裔」
・・・その声を聞けば、何となく暖かい家が慕わしくなる。愛想のある女の胸が慕わしくなる。犬は吠え続けた。 著:アンドレーエフレオニード・ニコラーエヴィチ 訳:森鴎外 「犬」
・・・……「愛想のなさよ。撫子も、百合も、あるけれど、活きた花を手折ろうより、この一折持っていきゃ。」 取らしょうと、笛の御手に持添えて、濃い紫の女扇を、袖すれにこそたまわりけれ。 片手なぞ、今は何するものぞ。「おんたまものの光は・・・ 泉鏡花 「貝の穴に河童の居る事」
・・・推量して下さいまし、愛想尽しと思うがままよ、鬼だか蛇だか知らない男と一つ処……せめて、神仏の前で輝いた、あの、光一ツ暗に無うては恐怖くて死んでしまうのですもの。もし、気になったら、貴方ばかり目をお瞑りなさいまし。――と自分は水晶のような黒目・・・ 泉鏡花 「菎蒻本」
・・・おとよさんはみんなにお愛想をいうて姉のいる方へ上がった。何か機の器具を借りに来たらしい。 やがて芋が煮えたというので、姉もおとよさんといっしょに降りてくる。おおぜい輪を作って芋をたべる。少しく立ちまさった女というものは、不思議な光を持っ・・・ 伊藤左千夫 「隣の嫁」
・・・平生愛想笑いをする癖が、悔やみ言葉の間に出るのをしいてかみ殺すのが苦しそうであった。近所の者のこの際の無駄話は実にいやであった。寄ってくれた人たちは当然のこととして、診断書のこと、死亡届のこと、埋葬証のこと、寺のことなど忠実に話してくれる。・・・ 伊藤左千夫 「奈々子」
出典:青空文庫