・・・その代りに、「深く御柔軟、深く御哀憐、勝れて甘くまします童女さんた・まりあ様」が、自然と身ごもった事を信じている。「十字架に懸り死し給い、石の御棺に納められ給い、」大地の底に埋められたぜすすが、三日の後よみ返った事を信じている。御糺明の喇叭・・・ 芥川竜之介 「おぎん」
・・・むかし飼槽の中の基督に美しい乳房を含ませた「すぐれて御愛憐、すぐれて御柔軟、すぐれて甘くまします天上の妃」と同じ母になったのである。神父は胸を反らせながら、快活に女へ話しかけた。「御安心なさい。病もたいていわかっています。お子さんの命は・・・ 芥川竜之介 「おしの」
――この涙の谷に呻き泣きて、御身に願いをかけ奉る。……御身の憐みの御眼をわれらに廻らせ給え。……深く御柔軟、深く御哀憐、すぐれて甘くまします「びるぜん、さんたまりや」様――――和訳「けれんど」――「ど・・・ 芥川竜之介 「黒衣聖母」
・・・が、その眼の中には、哀憐を請う情と共に、犯し難い決心の色が、浮んでいる。――必ず修理の他出を、禁ずる事が出来ると云う決心ではない。禁ずる事が出来なかったら、どうすると云う、決心である。 佐渡守は、これを見ると、また顔をしかめながら、面倒・・・ 芥川竜之介 「忠義」
・・・たよりない幼いものに対する愛憐の情の源泉がやはり本能的なものだということが、よくのみ込めるような気がする。 こういう映画はいくらあっても決して有り過ぎる心配のないものであろう。編集の巧拙などはほとんど問題にしなくてもよいかと思われる。・・・ 寺田寅彦 「映画雑感(3[#「3」はローマ数字、1-13-23])」
・・・過ぎし世の町に降る雪には必ず三味線の音色が伝えるような哀愁と哀憐とが感じられた。 小説『すみだ川』を書いていた時分だから、明治四十一、二年の頃であったろう。井上唖々さんという竹馬の友と二人、梅にはまだすこし早いが、と言いながら向島を歩み・・・ 永井荷風 「雪の日」
・・・前論者の、ビジテリアンは人間の感情を以て強て動物を律しようとするというのに対して、私は実に反対者たちは動物が人間と少しばかり形が違っているのに眼を欺かれてその本心から起って来る哀憐の感情をなくしているとご忠告申し上げたいのであります。誰だっ・・・ 宮沢賢治 「ビジテリアン大祭」
・・・のなかでは、彼女の知性が人生における一つの味、哀憐の趣というようなものへの傾倒のために弱められて女主人公「光ほのか」が、自分の生涯にかかわる愛さえ正当には守れなかった瞬間に対して、女として心から表すべき遺憾の感情を喪っている。自分の主観のな・・・ 宮本百合子 「知性の開眼」
・・・で、ジュリエット姫は、どんなに哀憐にロミオ! ロミオ! とよび、夜の露台で有名な独白を月、星、夜鶯にかけて訴えたろう。しかし、ジュリエットが現実に出来たことは死ぬことしかなかった。デスデモーナが、まばゆいほど白くて美しい額の奥に、オセロを出・・・ 宮本百合子 「デスデモーナのハンカチーフ」
・・・やっと発展させる可能な条件が社会に現れた今日の日本で、一心に自分を成長させ人間の歴史に何事かを加えたいと希望している愛憐らしい若い人たちが、怯えた苦悩のあらわれた瞳で眺めやっているのは何だろう。インフレーションによって人間の社会的良心さえも・・・ 宮本百合子 「人間の結婚」
出典:青空文庫