・・・あの依頼の手紙を書いて、君の気持を害う結果になろうとは夢にも思わなかったし、悪意をもってああいうことをお願いするほど愚かな者もいないだろう。君が神経質になり過ぎているものとしか、僕には考えられない。君が僕に友情を持っていてくれるのなら、君こ・・・ 太宰治 「虚構の春」
・・・まさか悪意を持って、はるばるこんな田舎まで訪ねて来てくれる人もあるまい。私は知遇に報いなければならぬ。あがりたまえ、ようこそ、と言う。私は、ちっとも偉くないのだから、客を玄関で追いかえすなどは、とてもできない。私は、そんなに多忙な男でもない・・・ 太宰治 「困惑の弁」
・・・数枝に、無理矢理、劇場から引っぱり出され、そうして数枝の悪意ない、ちょっとした巫山戯た思いつきが、高須をここへ連れこんだ、この薄暗いバアは、乙彦と、さちよが、奇態な邂逅したところ、いま自分の腰かけているこの灰色のソファは、乙彦が追いつめられ・・・ 太宰治 「火の鳥」
・・・天の悪意を感じます。五年ぶりに帰朝する御主人をお迎えにいそいそ横浜の埠頭、胸おどらせて待っているうちにみるみる顔のだいじなところに紫色の腫物があらわれ、いじくっているうちに、もはや、そのよろこびの若夫人も、ふためと見られぬお岩さま。そのよう・・・ 太宰治 「皮膚と心」
・・・これは無責任ないし悪意あるゴシップによって日常行われている現象である。 それでこの書物の内容も結局はモスコフスキーのアインシュタイン観であって、それを私が伝えるのだから、更に一層アインシュタインから遠くなってしまう、甚だ心細い訳である。・・・ 寺田寅彦 「アインシュタインの教育観」
・・・ B君のこの仕方は、悪意に解釈すれば私にとってあまり快くは思われない種類のものであった。しかしこの人の剽軽で学者らしく無邪気な、そしてどこか親切な態度に馴れた私はその時でも少しも悪い心持は起らなかった。そして遠い世界の果ての生れ故郷をな・・・ 寺田寅彦 「異郷」
・・・というのは決して悪意に解釈してはならないと思った。この「おもしろいな」が数千年の間にわれらの祖先が受けて来た試練の総勘定であるかもしれない。そのおかげで帝都の復興が立派にできて、そうして七年後の今日における円タクの洪水、ジャズ、レビューのあ・・・ 寺田寅彦 「時事雑感」
・・・このように、読者を欺すという悪意は少しもなくて、しかも結果において読者を欺すのが新聞のテクニックなのである。 七月十四日の朝東京駅発姫路行に乗って被害の様子を見に行った。 三島辺まで来ても一向どこにも強震などあったらしい様子は見えな・・・ 寺田寅彦 「静岡地震被害見学記」
・・・今になってみると、道太自身も姉に担がれたような結果になっているので、人のよすぎる姉に悪意はないにしても、姪の結婚に山気のあったことは争われなかった。「何しろあの連中のすることは雲にでも乗るようで、危なくてしようがない」「ふみ江ちゃん・・・ 徳田秋声 「挿話」
・・・者の権威と自信とを以て、敢て上下の等級を天下に宣告して憚らざるさえあるに、文明の趨勢と教化の均霑とより来る集合団体の努力を無視して、全部に与うべきはずの報酬を、強いて個人の頭上に落さんとするは、殆んど悪意ある取捨と一般の行為だからである。・・・ 夏目漱石 「文芸委員は何をするか」
出典:青空文庫