・・・ 先刻から覚めてはいるけれど、尚お眼を瞑ったままで臥ているのは、閉じたまぶたごしにも日光が見透されて、開けば必ず眼を射られるを厭うからであるが、しかし考えてみれば、斯う寂然としていた方が勝であろう。昨日……たしか昨日と思うが、傷を負・・・ 著:ガールシンフセヴォロド・ミハイロヴィチ 訳:二葉亭四迷 「四日間」
・・・すると御免とも云わずに表の格子戸をそうっと開けて、例の立退き請求の三百が、玄関の開いてた障子の間から、ぬうっと顔を突出した。「まあお入りなさい」彼は少し酒の気の廻っていた処なので、坐ったなり元気好く声をかけた。「否もうこゝで結構です・・・ 葛西善蔵 「子をつれて」
・・・眼が充分明けません。一寸鏡を貸して下さい」と言います。その時私は、鏡を見せるのはあまりに不愍と思いましたので、鏡は見ぬ方がよかろうと言いますと、平常ならば「左様ですか」と引っ込んで居る人ではなかったのですが、この時は妙に温しく「止しときまし・・・ 梶井久 「臨終まで」
・・・ 彼にただ一つの残っている空想というのは、彼がその寡婦と寝床を共にしているとき、ふいに起こって来る、部屋の窓を明け放してしまうという空想であった。勿論彼はそのとき、誰かがそこの崖路に立っていて、彼らの窓を眺め、彼らの姿を認めて、どんなに・・・ 梶井基次郎 「ある崖上の感情」
・・・そして僕の方でも窓を開けておいて、誰かの眼にいつも僕自身を曝らしているのがまたとても楽しいんです。こんなに酒を飲むにしても、どこか川っぷちのレストランみたいなところで、橋の上からだとか向こう岸からだとか見ている人があって飲んでいるのならどん・・・ 梶井基次郎 「ある崖上の感情」
・・・上手に一つ新しく設らえたる浴室の、右と左の開き扉を引き開けて、二人はひとしく中に入りぬ。心も置かず話しかくる辰弥の声は直ちに聞えたり。 ほどもなく立ち昇る湯気に包まれて出で来たりし二人は、早や打ち解けて物言い交わす中となりぬ。親しみやす・・・ 川上眉山 「書記官」
・・・候 せめて士官ならばとの今日のお手紙の文句は未練に候ぞ大将とて兵卒とて大君の為国の為に捧げ候命に二はこれなく候かかる心得にては真の忠義思いもよらず候兄はそなたが上をうらやみせめて軍夫に加わりてもと明け暮れ申しおり候ここをくみ候わば一兵士・・・ 国木田独歩 「遺言」
・・・二十年前の壁の穴が少し太くなったばかりである、豊吉が棒の先でいたずらに開けたところの。 ただ豊吉の目には以前より路幅が狭くなったように思われ、樹が多くなったように見え、昔よりよほどさびしくなったように思われた。蝉がその単調な眠そうな声で・・・ 国木田独歩 「河霧」
・・・うち明けていえば、私はこの種の「薄っぺら」よりは、まだしも獲得の本能にもとづく肉慾追求の青年をとるものだ。「銀ぶら」「喫茶店めぐり」、背広で行くダンス・ホール、ピクニック、――そうした場所で女友を拾い、女性の香気を僅かにすすって、深入りしよ・・・ 倉田百三 「学生と生活」
・・・ 今日交通の便開けた時代でも、身延山詣でした人はその途中の難と幽邃さとに驚かぬ者はあるまい。それが鎌倉時代の道も開けぬ時代に、鎌倉から身延を志して隠れるということがすでに尋常一様な人には出来るものでないことは一度身延詣でしてみれば直ちに・・・ 倉田百三 「学生と先哲」
出典:青空文庫