・・・世なれた恥しげのうせた様子で銀杏返しにゆるく結って瀧縞御召に衿をかけたのを着て白博多をしめた様子は、その年に見る人はなく、その小さな国の女王としても又幾十人の子分をあごで動かす男達の姐御としても似合わしいものだった。 壁の地獄の絵の中の・・・ 宮本百合子 「お女郎蜘蛛」
・・・ まっ赤な地へ白で大きな模様の出て居る縮緬の布は細い絹針の光る毎に一針一針と縫い合わせられて行くのを、飼い猫のあごの下を無意識にこすりながら仙二は見て居た。 自分の居るのをまるで知らない様に落ついた眼つきで話したい事を話して居る娘の・・・ 宮本百合子 「グースベリーの熟れる頃」
・・・ 真白い「あご」につづいてふくらんだ喉のあたりから声が出て居るらしく肩の上に葉の影がゆらめいて居た。「何だい? 肇も同じ窓からのぞいた。 二人とも無言のまま千世子の様子を見て居た。「いつもよりきれいだねえ、・・・ 宮本百合子 「千世子(三)」
・・・ 当世風の娘ならば丈の高い、少しふとり肉の手のふっくりとして小さい、眼のまつ毛が長くて丸く大きく、唇もあんまり厚くなく、あごのくくれたような輪かくのはっきりしたかおがすき。物をいわれてもはぎれのいい少し高調子の丸みのある声で答え、たたみ・・・ 宮本百合子 「妙な子」
・・・ガックリとあごのはずれた骨ばかりの顔がお敬ちゃんの胸にくっついて居た。どうしても私はそれが気のかげんだと云ってしまえないほどおびやかされた気持になった。そしてふるえた。いかにもおく病らしい声で斯う云った。「今おけいちゃんのかおが骨ばっか・・・ 宮本百合子 「芽生」
・・・ 永遠に渇している目は動くあごに注がれている。 しかしこのに注がれているのは、この二つの目ばかりではない。目が今二つある。 今二つの目の主は七つか八つ位の娘である。無理に上げたようなお煙草盆に、小さい花簪を挿している。 白い・・・ 森鴎外 「牛鍋」
・・・今年六十歳になる大夫の、朱を塗ったような顔は、額が広くあごが張って、髪も鬚も銀色に光っている。子供らは恐ろしいよりは不思議がって、じっとその顔を見ているのである。 大夫は言った。「買うて来た子供はそれか。いつも買う奴と違うて、何に使うて・・・ 森鴎外 「山椒大夫」
・・・すると弟はまっ青な顔の、両方の頬からあごへかけて血に染まったのをあげて、わたくしを見ましたが、物を言うことができませぬ。息をいたすたびに、傷口でひゅうひゅうという音がいたすだけでございます。わたくしにはどうも様子がわかりませんので、『どうし・・・ 森鴎外 「高瀬舟」
出典:青空文庫