・・・ 先ず先ず無事ですんでよかったとつくづく思う。 フト気が付いて見ると、その騒ぎの中に槇の木と、その傍のうす赤い葉の楓はゆさりともしずに居る。 紫陽花だの樫だのが、石橋の振車の様に頭を振りに振って居るのに、二つだけは作りつけの様に・・・ 宮本百合子 「無題(三)」
・・・ 男の子や、女の子や……縁側の柱に膝を抱えて倚かかり、芽を青々と愛らしく萌え出した紫陽花の陰に、無数に並んで居る、真黒な足と下駄とを眺め乍ら、泰子は、殆ど驚歎して、彼等のお喋りや、誇示や、餓鬼大将の不快至極な、まるで大人の無頼漢が強請る・・・ 宮本百合子 「われらの家」
・・・ 薔薇は朝毎に水に濡れたまま揺れて来た。紫陽花と矢車草と野茨と芍薬と菊と、カンナは絶えず三方の壁の上で咲いていた。それは華やかな花屋のような部屋であった。彼は夜ごとに燭台に火を付けると、もしかしたらこっそりこの青ざめた花屋の中へ、死の客・・・ 横光利一 「花園の思想」
出典:青空文庫