・・・ピストル強盗は渾名通り、ちゃんとピストルを用意していた。二発、三発、――ピストルは続けさまに火を吐いた。しかし巡査は勇敢に、とうとう偽目くらに縄をかけた。兵卒たちはさすがにどよめいた。が、彼等の間からは、やはり声一つかからなかった。 中・・・ 芥川竜之介 「将軍」
・・・が番頭の話を聞くと、直ぐに横から口を出したのは、古狐と云う渾名のある、狡猾な医者の女房です。「それはうちへおよこしよ。うちにいれば二三年中には、きっと仙人にして見せるから。」「左様ですか? それは善い事を伺いました。では何分願います・・・ 芥川竜之介 「仙人」
・・・などと呼ばれていたのも、完くこの忠諫を進める所から来た渾名である。 林右衛門は、修理の逆上が眼に見えて、進み出して以来、夜の目も寝ないくらい、主家のために、心を煩わした。――既に病気が本復した以上、修理は近日中に病緩の御礼として、登城し・・・ 芥川竜之介 「忠義」
・・・という女中が一人あった。この女中はのちに「源さん」という大工のお上さんになったために「源てつ」という渾名を貰ったものである。 なんでも一月か二月のある夜、地震のために目をさました「てつ」は前後の分別を失ったとみえ、枕もとの行灯をぶら下げ・・・ 芥川竜之介 「追憶」
・・・――とか何とか云う理由から、このカッフェの定連の間には、夙に通俗小説と云う渾名が出来ているらしい。もっとも渾名にはまだいろいろある。簪の花が花だから、わすれな草。活動写真に出る亜米利加の女優に似ているから、ミス・メリイ・ピックフォオド。この・・・ 芥川竜之介 「葱」
・・・ 晩のお菜に、煮たわ、喰ったわ、その数三万三千三百さるほどに爺の因果が孫に報って、渾名を小烏の三之助、数え年十三の大柄な童でござる。 掻垂れ眉を上と下、大きな口で莞爾した。「姉様、己の号外だよ。今朝、号外に腹が痛んだで、稲葉丸さ・・・ 泉鏡花 「海異記」
・・・……と、場所がよくない、そこらの口の悪いのが、日光がえりを、美術の淵源地、荘厳の廚子から影向した、女菩薩とは心得ず、ただ雷の本場と心得、ごろごろさん、ごろさんと、以来かのおんなを渾名した。――嬰児が、二つ三つ、片口をきくようになると、可哀相・・・ 泉鏡花 「開扉一妖帖」
・・・胡麻塩頭で、眉の迫った渋色の真正面を出したのは、苦虫と渾名の古物、但し人の好い漢である。「へい。」 とただ云ったばかり、素気なく口を引結んで、真直に立っている。「おお、源助か。」 その職員室真中の大卓子、向側の椅子に凭った先・・・ 泉鏡花 「朱日記」
・・・ 往来に馴れて、幾度も蔦屋の客となって、心得顔をしたものは、お米さんの事を渾名して、むつの花、むつの花、と言いました。――色と言い、また雪の越路の雪ほどに、世に知られたと申す意味ではないので――これは後言であったのです。……不具だと言う・・・ 泉鏡花 「雪霊記事」
・・・「スッポンいう渾名や」 いつの間にか並んで歩きだしていた。家の近くまで来ると、紀代子は、「さいなら。今度踉けたら承知せえへんし」 まず成功だったといえるはずだのに、別れぎわの紀代子の命令的な調子にたたきつけられて、失敗だと思・・・ 織田作之助 「雨」
出典:青空文庫