・・・ 私は木綿の厚司に白い紐の前掛をつけさせられ、朝はお粥に香の物、昼はばんざいといって野菜の煮たものか蒟蒻の水臭いすまし汁、夜はまた香のものにお茶漬だった。給金はなくて、小遣いは一年に五十銭、一月五銭足らずでした。古参の丁稚でもそれと大差・・・ 織田作之助 「アド・バルーン」
・・・ある日、梅田新道にある柳吉の店の前を通り掛ると、厚子を着た柳吉が丁稚相手に地方送りの荷造りを監督していた。耳に挟んだ筆をとると、さらさらと帖面の上を走らせ、やがて、それを口にくわえて算盤を弾くその姿がいかにもかいがいしく見えた。ふと視線が合・・・ 織田作之助 「夫婦善哉」
・・・きのうの朝早く外へ出てすこし行ったら炭俵を一俵ずつ両手に下げた厚司前垂の若衆がとある家の勝手口へ入った、もしや、と思って待っていたがなかなか出て来ないし、こちらに時間があるので歩き出したら、角の電柱のはずれから可愛い茶色の朝鮮牛が無邪気な鼻・・・ 宮本百合子 「この初冬」
・・・ ジイドは前年夏ゴーリキイの病篤しと知って、モスクへ飛行し、そこに約二三ヵ月止り、かえって旅行記を書いた。本質に於ては飽くまで旧い箇人主義から脱していないジイドが、「新しい社会の集団人の代表者、具現者」としての部署におかれている人物の価・・・ 宮本百合子 「今日の文学の展望」
・・・ アンドレ・ジイドは一九三六年六月、彼より一つ年上の輝しい僚友マクシム・ゴーリキイの病篤しという報に驚いて、飛行機でU・R・S・Sへ赴いた。ジイドが到着した翌日ゴーリキイの生涯は終った。ジイドは、赤い広場で行われたゴーリキイの感動的・・・ 宮本百合子 「ジイドとそのソヴェト旅行記」
出典:青空文庫