・・・ 雪は、その上へまた降り積った。 丘の家々は、石のように雪の下に埋れていた。 彼方の山からは、始終、パルチザンがこちらの村を覗っていた。のみならず、夜になると、歩哨が、たびたび狼に襲われた。四肢が没してもまだ足りない程、深い雪の・・・ 黒島伝治 「渦巻ける烏の群」
・・・が、その母や、妹や、親爺は、今、どうしても手が届かない、遥かな彼方に彼とは無関係に生きているのだ。誰れも彼に憐れみの眼光を投げて呉れる者はなかった。看護卒は、たゞ忙しそうに、忙しいのが癪に障るらしく、ふくれッ面をして無慈悲にがたがたやってい・・・ 黒島伝治 「氷河」
・・・ここは人家も少からず、町の彼方に秩父の山々近く見えて如何にも田舎びたれど、熊谷より大宮郷に至る道の中にて第一の賑わしきところなりとぞ。さればにや氷売る店など涼しげによろずを取りなして都めかしたるもあり。とある店に入り、氷に喉の渇を癒して、こ・・・ 幸田露伴 「知々夫紀行」
・・・御相図と承わり、又御物ごしが彼方様其儘でござりましたので、……如何様にも私を御成敗下さりまして、……又此方様は、私、身を捨てましても、御引取いただくよう願いまして、然よう致しますれば……」と、今まで泣伏していた間に考えていたものと見えて・・・ 幸田露伴 「雪たたき」
・・・七「へえ……彼方へは往きません、面倒だから何処も往きません」殿「何かぐず/″\口の内で言っているな、浪々酌をしてやれ、もう一杯やれ」七「へえ、お酒なら否とは云いません」殿「其の方が久しく参らん内に私は役替を仰せ付けられて、上・・・ 著:三遊亭円朝 校訂:鈴木行三 「梅若七兵衞」
・・・内儀「旦那え/\」七「えゝ」内儀「貴方には困りますね」七「何ぞというとお前は困るとお云いだが何が困ります」内儀「何が困るたって、あなた此様に貧乏になりきりまして、実に世間体も恥かしい事で、斯様な裏長屋へ入って、あなたは平・・・ 著:三遊亭円朝 校訂:鈴木行三 「梅若七兵衞」
・・・「何かまた貴方も借りて御覧なすったら可いでしょう」「ええ、まあボツボツ集めてます……なんにも子供に遺して置く物もありませんから、せめて書籍でも遺そうと思いまして……」 大尉は黒い袴の中へ両手を差入れながら笑った。 その日、高瀬は・・・ 島崎藤村 「岩石の間」
・・・「なんの、貴方、稀にいらしって下すったんですもの」と相川の妻は如才なく、「どんなにか宿でも喜んでおりますんですよ」 こういう話をしているうちに、相川は着物を着更えた。やがて二人の友達は一緒に飯田町の宿を出た。 昼飯は相川が奢った・・・ 島崎藤村 「並木」
・・・ 直ぐ又、彼は魚に気を取られて仕舞いましたが、スバーは、傷つけられた牝鹿が、苦しみの中で、「私が、貴方に何をしたでしょう?」と訊きながら狩人の顔を見るように、プラタプの面を見守りました。 其日、彼女はもういつもの木の下には座・・・ 著:タゴールラビンドラナート 訳:宮本百合子 「唖娘スバー」
・・・髪の毛をレースのように編んで畳み込み、体の彼方此方に飾りを下げ、スバーの自然の美しさを代なしにするに一生懸命になりました。 スバーの眼は、もう涙で一杯です。泣いて瞼が腫れると大変だと思う母親は、きびしく彼女を叱りました。が、涙は小言など・・・ 著:タゴールラビンドラナート 訳:宮本百合子 「唖娘スバー」
出典:青空文庫