・・・ 斎場を出て、入口の休所へかえって来ると、もう森田さん、鈴木さん、安倍さん、などが、かんかん火を起した炉のまわりに集って、新聞を読んだり、駄弁をふるったりしていた。新聞に出ている先生の逸話や、内外の人の追憶が時々問題になる。僕は、和辻さ・・・ 芥川竜之介 「葬儀記」
・・・現に昨日安倍の晴明も寿命は八十六と云っていました。 使 それは陰陽師の嘘でしょう。 小町 いいえ、嘘ではありません。安倍の晴明の云うことは何でもちゃんと当るのです。あなたこそ嘘をついているのでしょう。そら、返事に困っているではありま・・・ 芥川竜之介 「二人小町」
・・・が、爺さんの竈禿の針白髪は、阿倍の遺臣の概があった。「お前様の前だがの、女が通ると、ひとりで孕むなぞと、うそにも女の身になったらどうだんべいなす、聞かねえ分で居さっせえまし。優しげな、情合の深い、旦那、お前様だ。」「いや、恥かしい、・・・ 泉鏡花 「燈明之巻」
・・・浅間の社で、釜で甘酒を売る茶店へ休んだ時、鳩と一所に日南ぼっこをする婆さんに、阿部川の川原で、桜の頃は土地の人が、毛氈に重詰もので、花の酒宴をする、と言うのを聞いた。――阿部川の道を訊ねたについてである。――都路の唄につけても、此処を府中と・・・ 泉鏡花 「雛がたり」
・・・呆れていると、私に阿部定の公判記録の写しを貸してくれというのである。「世相」という小説でその公判記録のことを書いたのを知っていたのであろう。私は「世相」という小説はありゃみな嘘の話だ、公判記録なんか読んだこともない、阿部定を妾にしていた天ぷ・・・ 織田作之助 「可能性の文学」
・・・「いつか阿部定も書きたいとおっしゃったでしょう。グロチックね」 私の小説はグロテスクでエロチックだから、合わせてグロチックだと、家人は不潔がっていた。「ああ、今も書きたいよ。題はまず『妖婦』かな。こりゃ一世一代の傑作になるよ」・・・ 織田作之助 「世相」
・・・文句を云うたって仕様がないや。」安部が云った。「もうみんな武装しよるんだ。」 安部は暗い陰欝な顔をしていた。さきに中隊へ帰って準備をしよう。――彼はそうしたい心でいっぱいだった。しかし、ほかの者を放っておいて、一人だけ帰って行くのが悪い・・・ 黒島伝治 「橇」
・・・識神を使ったというのは阿倍晴明きりの談になっている。口寄せ、梓神子は古い我邦の神おろしの術が仏教の輪廻説と混じて変形したものらしい。これは明治まで存し、今でも辺鄙には密に存するかも知れぬが、営業的なものである。但しこれには「げほう」が連絡し・・・ 幸田露伴 「魔法修行者」
・・・でも、「田園交響楽」でも、「阿部一族」でも、ちゃんと映画になっている様子だ。「女の決闘」の映画などは、在り得ない。 どうも、自作を語るのは、いやだ。自己嫌悪で一ぱいだ。「わが子を語れ」と言われたら、志賀直哉ほどの達人でも、ちょっ・・・ 太宰治 「自作を語る」
・・・蟹について 阿部次郎のエッセイの中に、小さい蟹が自分のうちの台所で、横っ飛びに飛んだ。蟹も飛べるのか、そう思ったら、涙が出たという文章があった。あそこだけは、よし。 私の家の庭にも、ときたま、蟹が這って来る。君は、芥子つ・・・ 太宰治 「もの思う葦」
出典:青空文庫