・・・ 学士が驚いた――客は京の某大学の仏語の教授で、榊三吉と云う学者なのだが、無心の小児に向っては、盗賊もあやすと言う……教授でも学者でも同じ事で、これには莞爾々々として、はい、今日は、と言った。この調子で、薄暗い広間へ、思いのほかのものが・・・ 泉鏡花 「みさごの鮨」
・・・とお光はハラハラ涙を零す。「阿父さん……」「阿父さんも皆お前の傍にいるよ。新造、寂しいか?」と新五郎は老眼を数瞬きながらいざり寄る。「どうかお光の力になってやって……阿父さん、お光を頼みますよ……」「いいとも! お光のことは・・・ 小栗風葉 「深川女房」
・・・ 三時になれば眠れるぞと、子供をあやすように自分に言いきかせて、――しまいには、隣りの部屋の家人が何か御用ですかとはいって来たくらい、大きな声を出して呟いて、書き続けて来たのだった。 ところが、三時になってもまだ机の前に坐っていた。・・・ 織田作之助 「郷愁」
・・・捨てられているのかと抱いてあやすと、泣きやんで笑った。蚊に食われた跡が涙に汚れてきたない顔だったが、えくぼがあり、鼻の低いところ、おでこの飛びでているところなど、何か伊助に似ているようであったから、その旨伊助に言い、拾って育てようとはかった・・・ 織田作之助 「螢」
・・・近所のお内儀さんなどが通りがかりに児をあやすと、嬉しそうな色が父親の柔和な顔に漲る。女房は店で団扇をつかいながら楽しげにこの様を見ている。涼しい風は店の灯を吹き、軒に吊した籠や箒やランプの笠を吹き、見て過ぐる自分の胸にも吹き入る。 自分・・・ 寺田寅彦 「やもり物語」
・・・――起きて縄でもないてぇ、草履でもつくりてぇ、――そう思っても、孝行な息子達夫婦は無理矢理に、善ニョムさんを寝床に追い込み、自分達の蒲団までもってきて、着かせて、子供でもあやすように云った。「ナアとっさん、麦がとれたら山の湯につれてって・・・ 徳永直 「麦の芽」
・・・けれ共私の母や親類の者は気を揉んで、散々説きすかして子供をあやす様にしながら入院させたそうである。 そして、手術室に入ろうとした時、他の人の手術をされた血だの道具などが凄い様子で取り散らしてあるのを見たら気が遠くなって成って行く様な、忽・・・ 宮本百合子 「追憶」
・・・ それからトント赤子でもあやすように、お口の内で朧におっしゃることの懐かしさ! 僕は少さい内から、まじめで静かだったもんだから、近処のものがあたりまえの子供のあどけなく可愛ところがないといい/\しましたが、どうしたものか奥さまは僕を可愛やと・・・ 若松賤子 「忘れ形見」
出典:青空文庫