・・・それじゃア足を洗うんだ。この磨滅下駄を持って、そこの水道で洗って来な、」と弁公景気よく言って、土間を探り、下駄を拾って渡した。 そこで文公はやっと宿を得て、二人の足のすそに丸くなった。親父も弁公も昼間の激しい労働で熟睡したが文公は熱と咳・・・ 国木田独歩 「窮死」
・・・しかし婆さんは何とも思わないでこの水で朝夕、鍋釜を洗うようであった。 茶屋を出て、自分らは、そろそろ小金井の堤を、水上のほうへとのぼり初めた。ああその日の散歩がどんなに楽しかったろう。なるほど小金井は桜の名所、それで夏の盛りにその堤をの・・・ 国木田独歩 「武蔵野」
・・・ 二 彼の問いと危機 日蓮は太平洋の波洗う外房州の荒れたる漁村に生まれた。「日蓮は日本国東夷東条安房国海辺旃陀羅が子也」と彼は書いている。今より七百十五年前、後堀川天皇の、承久四年二月十六日に、安房ノ国長狭郡東条に貫・・・ 倉田百三 「学生と先哲」
・・・髯をあたれば、顔を洗う湯も汲んできなければならない。…… 少佐殿はめかして出て行く。 ところが、おそく、――一時すぎに――帰ってきて、棒切れを折って投げつけるように不機嫌なことがあるのだ。吉原には訳が分らなかった。多分ふられたのだろ・・・ 黒島伝治 「橇」
・・・起きて直ぐ、蒲団を片付け、毛布をたゝみ、歯を磨いて、顔を洗う。その頃に丁度「点検」が廻わってくる。一隊は三人で、先頭の看守がガチャン/\と扉を開けてゆくと、次の部長が独房の中を覗きこんで、点検簿と引き合せて、「六十三番」 と呼ぶ。・・・ 小林多喜二 「独房」
・・・飲料には用いられないが、砂でも流れない時は顔を洗うに好い。そこにも高瀬は生のままの刺激を見つけた。この粗末ながらも新しい住居で、高瀬は婚約のあった人を迎える仕度をした。月の末に、彼は結婚した。 長く東京で年月を送って来た高瀬には、塾・・・ 島崎藤村 「岩石の間」
・・・そこにはイキの好い魚を洗うものがある。ここには芋の皮をむき始めるものがある。広瀬さんは背広に長い護謨靴ばきでその間を歩き廻った。素人ながらに、近海物と、そうでない魚とを見分けることの出来るお三輪は、今陸へ揚ったばかりのような黒く濃い斑紋のあ・・・ 島崎藤村 「食堂」
・・・内部はまた、いもを洗うような混雑だ。肘と肘とをぶっつけ合い、互いに隣りの客を牽制し、負けず劣らず大声を挙げて、おういビイルを早く、おういビエルなどと東北訛りの者もあり、喧々囂々、やっと一ぱいのビイルにありつき、ほとんど無我夢中で飲み畢るや否・・・ 太宰治 「禁酒の心」
・・・ぼくはもう、そろそろ足を洗うつもりでいるんだ。君は、まだ相変らず、かついでいるのか。」「あたりまえよ。かつがなきゃおまんまが食べられませんからね。」 言うことが、いちいちゲスである。「でも、そんな身なりでも無いじゃないか。」・・・ 太宰治 「グッド・バイ」
・・・着物を洗う水の音がざぶざぶとのどかに聞こえて、隣の白蓮の美しく春の日に光るのが、なんとも言えぬ平和な趣をあたりに展げる。細君はなるほどもう色は衰えているが、娘盛りにはこれでも十人並み以上であったろうと思われる。やや旧派の束髪に結って、ふっく・・・ 田山花袋 「少女病」
出典:青空文庫