・・・のみならずわたしのマッチの箱もいつかあらまし空になっていた。――わたしは巻煙草をふかしながら、わたしの生活にはわたし自身の少しも知らない時間のあることを考えない訣には行かなかった。こう云う考えはわたしには不安よりもむしろ無気味だった。わたし・・・ 芥川竜之介 「夢」
・・・「時に土屋さん、今朝佐介さんからあらまし聞いたんだが、一体おとよさんをどうする気かね」「どうもしやしない、親不孝な子を持って世間へ顔出しもできなくなったから、少し小言が長引いたまでだ。いや薊さん、どうもあなたに面目次第もない」「・・・ 伊藤左千夫 「春の潮」
・・・―― 兄の話のあらましはこんなものだった。ちょうど近所の百姓家が昼寝の時だったので、自分がその時起きてゆかなければどんなに危険だったかとも言った。 話している方も聞いている方も惹き入れられて、兄が口をつぐむと、静かになった。「わ・・・ 梶井基次郎 「城のある町にて」
・・・ある日の帰途気まぐれに自分はEで電車を降り、あらましの見当と思う方角へ歩いて見た。しばらく歩いているうちに、なんだか知っているような道へ出て来たわいと思った。気がついてみると、それはいつも自分がMの停留所へ歩いてゆく道へつながって行くところ・・・ 梶井基次郎 「路上」
・・・宿の主人より聞きえしはそのあらましのみ。主人は何ゆえにこの翁の事をかくも聞きたださるるか、教師が心解しかねたれど問わるるままに語れり。「この港は佐伯町にふさわしかるべし。見たまうごとく家という家いくばくありや、人数は二十にも足らざるべく・・・ 国木田独歩 「源おじ」
・・・昨年、彼が借衣までして恋人に逢いに行ったという、そのときの彼の自嘲の川柳を二つ三つ左記して、この恐るべきお洒落童子の、ほんのあらましの短い紹介文を結ぶことに致しましょう。落人の借衣すずしく似合いけり。この柄は、このごろ流行と借衣言い。その袖・・・ 太宰治 「おしゃれ童子」
・・・ やがて、燕尾服を着た仁丹の髭のある太夫が、お客に彼女のあらましの来歴を告げて、それから、ケルリ、ケルリ、と檻に向って二声叫び、右手のむちを小粋に振った。むちの音が少年の胸を鋭くつき刺した。太夫に嫉妬を感じたのである。くろんぼは、立ちあ・・・ 太宰治 「逆行」
・・・ちはずれの新柳町の或る家へ一時立ち退き、それからどうせ死ぬなら故郷で、という気持から子供二人を抱えて津軽の生家へ来たのであるが、来て二週目に、あの御放送があった、というのが、私のこれまでの浪々生活の、あらましの経緯である。 私は既に三十・・・ 太宰治 「十五年間」
・・・以上は、わが武勇伝のあらましの御報に御座候えども、今日つらつら考えるに、武術は同胞に対して実行すべきものに非ず、弓箭は遠く海のあなたに飛ばざるべからず、老生も更に心魂を練り直し、隣人を憎まず、さげすまず、白氏の所謂、残燈滅して又明らかの希望・・・ 太宰治 「花吹雪」
・・・の匿名ですよ。黄村は狼狽を見せまいとして高いせきばらいを二つ三つして、それからあたりをはばかるような低い声で問うた。なんぼもうかったかの。 傑作「人間万事嘘は誠」のあらましの内容は、嫌厭先生という年わかい世のすねものが面白おかしく世の中・・・ 太宰治 「ロマネスク」
出典:青空文庫