・・・そこで、当番御目付土屋長太郎、橋本阿波守は勿論、大目付河野豊前守も立ち合って、一まず手負いを、焚火の間へ舁ぎこんだ。そうしてそのまわりを小屏風で囲んで、五人の御坊主を附き添わせた上に、大広間詰の諸大名が、代る代る来て介抱した。中でも松平兵部・・・ 芥川竜之介 「忠義」
・・・これに対抗する里見勢もまた相当の数だろうが、ドダイ安房から墨田河原近くの戦線までかなりな道程をいつドウいう風に引牽して来たのやらそれからして一行も書いてない。水軍の策戦は『三国志』の赤壁をソックリそのままに踏襲したので、里見の天海たる丶大や・・・ 内田魯庵 「八犬伝談余」
・・・それでは阿波の鳴門の渦に巻込まれて底へ底へと沈むようなもんで、頭の疲れや苦痛に堪え切れなくなったので、最後に盲亀の浮木のように取捉まえたのが即ちヒューマニチーであった。が、根柢に構わってるのが懐疑だから、動やともするとヒューマニチーはグラグ・・・ 内田魯庵 「二葉亭追録」
・・・そして、人形が口を利いたのを見るのははじめてだと不思議がるまえにまず自分の不運を何か諦めて、ひたすら謝ると、はたして五十吉は声をはげまして、この人形はさる大名の命でとくに阿波の人形師につくらせたものだ。それを女風情の眼でけがされたとあっては・・・ 織田作之助 「螢」
・・・「阿波十郎兵衛など見せて我子泣かすも益なからん」源叔父は真顔にていう。「我子とは誰ぞ」老婦は素知らぬ顔にて問いつ、「幸助殿はかしこにて溺れしと聞きしに」振り向いて妙見の山影黒きあたりを指しぬ、人々皆かなたを見たり。「我子とは・・・ 国木田独歩 「源おじ」
・・・「日蓮は日本国東夷東条安房国海辺旃陀羅が子也」と彼は書いている。今より七百十五年前、後堀川天皇の、承久四年二月十六日に、安房ノ国長狭郡東条に貫名重忠を父とし、梅菊を母として生まれ、幼名を善日麿とよんだ。 彼の父母は元は由緒ある武士だった・・・ 倉田百三 「学生と先哲」
・・・がらにかかれているところであるが、瀬戸内海のうちの同じ島でも、私の村はそのうちの更に内海と称せられる湖水のような湾のなかにあるので、そこから丘を一つ越えてここへ来るとやや広々とした海と、その向うの讃岐阿波の連山へ見晴しがきいて、又ちがった趣・・・ 黒島伝治 「短命長命」
・・・それも製作技術の智慧からではあるが、丸太を組み、割竹を編み、紙を貼り、色を傅けて、インチキ大仏のその眼の孔から安房上総まで見ゆるほどなのを江戸に作ったことがある。そういう質の智慧のある人であるから、今ここにおいて行詰まるような意気地無しでは・・・ 幸田露伴 「鵞鳥」
・・・ここの町よりただ荒川一条を隔てたる鉢形村といえるは、むかしの鉢形の城のありたるところにて、城は天正の頃、北条氏政の弟安房守氏邦の守りたるところなれば、このあたりはその頃より繁昌したりと見ゆ。 寄居を出離れて行くこと少時にして、水の流るる・・・ 幸田露伴 「知々夫紀行」
・・・ ところが政元は病気を時したので、この前の病気の時、政元一家の内うちうちの人だけで相談して、阿波の守護細川慈雲院の孫、細川讃岐守之勝の子息が器量骨柄も宜しいというので、摂州の守護代薬師寺与一を使者にして養子にする契約をしたのであった。・・・ 幸田露伴 「魔法修行者」
出典:青空文庫